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Shakespeare アーカイブ

2007年03月19日

シェイクスピアの故郷、ストラットフォード・アポン・エイボン Stratford Upon Avon

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この家はシェイクスピアの奥さん、アン・ハサウエイの実家。ストラットフォード近くの村ショッテリーにある。

先週、ストラットフォードにシェイクスピアの生家を訪ねるツアーのガイドをしました。150km位ロンドンから北上します。シェイクスピア・ファンの聖地ともいうべき所です。私も彼のファンなので、何度行っても、この500年前のすごいイングランド中部のしたたか者のウイリアム・シェイクスピアに敬意を表して、謹んでガイドさせて頂くのです。

シェイクスピアが生まれたのは1564年で亡くなったのは1616年です。お父さんは手袋屋と羊毛取引でお金持ち。町のグラマー・スクールで学ぶが、お父さんが商売に失敗。そして18歳の時、26歳のアン・ハサウエイとの間に子供が出来て、若い結婚。長女の出産、20ヵ月後に双子が生まれ、21歳頃ロンドンへ上京。劇場で下働き、役者などをして、その内に台本を書くようになり、それが大成功。喜劇、悲劇、歴史劇、何でもござれ!頼まれたお客さんに喜こばれるように、劇を書くのですから売れっ子です。それに大学で使うようなややこしい言い回しなんてしない。でも、心に訴えかける言い回しが一杯。沢山のお金を持って、故郷のストラットフォードに33歳頃戻って、町で2番目に大きな家を買って終生暮らしました。

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孫娘の家の前。この右にニュープレイスと呼ばれるシェイクスピアの家があった。この前のレストランでお昼食べたのでパチ!

ストラットフォードの町中には、彼の生家と娘の婚家(夫が医者だったので薬草園あり)、そして孫娘の婚家(実はこの隣に町で2番目に大きかった彼の家があったのですが、壊されて、今はきれいな庭となっている)が、又、ショッテリー村には妻の実家、ウイルムコット村には彼の母の実家が、シェイクスピア・バースプレイス・トラストにより買取られ一般公開されています。

このトラストは、一般の人びとの寄付と入場料で運営されていますが、彼の生家を1847年に買い取ったのを手始めに、その後5件に増えたわけです。チャールズ・デイッケンズも協力者で、生家が、肉屋やパブになったりして、売りに出たのを、シェイクスピアピアを尊敬する人びとが、力を合わせて買い取ってくれたお陰で、今も私達が、「この床をシェイクスピアも歩いたのですよ」とか、「このベンチで若いシェイクスピアは、8歳年上のアンにキスをしたかも・・」なんて話を聞いて、今までシェイクスピアって本当にいた人なのかしら?なんて思っていたのが、かなり現実的に、この16世紀を渡り歩いた、すごい人間を想像できるようになるのです。

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ギルドの教会と、隣がシェイクスピアも行った学校。今も学校の一部として存在してるのが驚きです。

ストラットフォードには、劇場が3つあってシェークスピア劇を主に演じています。コッツウオルド地方も近くですし、ロンドンから1泊して、劇を楽しみ、街を楽しみ、田舎も楽しもうという人も多いです。街には黒い梁に白壁の、古い家が多く、500年前の佇まい。でも、車は多いけど・・・。今回、仕事に熱中してましたので、肝心の生家の写真撮れませんでした。

2007年04月02日

ストラットフォード・アポン・エイボンその2 Stratford upon Avon again

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スワン・シアターを柳の揺れる枝の間から見る。ラスキンが、物を知る為にはスケッチが必要と言っていたが、この枝、葉の葉脈なんか、描くとおもしろいだろうなと思う。おもうだけ。

昨日は、電車に揺られてストラットフォードへ行き、一晩泊まって、ホームステイしている中学生のお客さんとロンドンに来て観光の仕事。という訳で昨日の旅は、のんびり昼寝をしたり、お茶飲んだりして到着。6時すぎなのにまだ明るいので、街をぶらーっと散歩してきました。天気は上々、昼寝のお陰で気分も上々。エーボン川沿いには私の大好きな柳が沢山植わっていて、強い風にゆらゆらと、若々しい薄い緑の、形の良い葉をゆらしていました。木が大木なので、動き方がいかにも、おっとりしているのが、何ともいえなく優雅で、私も嬉しくなる。

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来週から解体されはじめるロイヤル・シェイクスピア・シアター。アールデコのデザインだった。

ロイヤル・シェイクスピア・シアターは、70年の歴史を先週の土曜日で閉じたという記事を今日の朝見ました。確かに、あまり古くもないのですが、舞台と観客席の間が開き過ぎて、臨場感に欠けるなと思ったものでした。やはり、劇の中に入り込みたいので、遠すぎるのが閉鎖の原因のよう。2010年には新劇場が完成するそうです。

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向こうに見える教会の塔が、シェイクスピアも埋葬されている、ホーリー・トリニテイー・チャペル。エイボン川も風で波立っている。むこうの柳の若葉がきれいです。この風景にうっとりして、こんな美しい風景の中を歩くことが出来るのは何て幸せなことでしょうと、思っていたら、何とこの風景が夢に出てきて・・・。

散歩の後は、夕食をしてワインでちょっとのんびりして、テレビでジェーン・オースチンを見て就寝。夢でエーボン川に巨大なテイー・ポットが流れている夢見て起きる。どんな意味があるんでしょうね、これって。

2007年04月05日

「リチャード三世」がシェイクスピア劇では一番好き Richard The Third 

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スワン・シアター前で見た、リチャード三世の看板

私は数あるシェイクシアの劇の三分の一も見ていないと思うのですが、何故か「リチャード三世」は何度も見ています。まあ、この新潮文庫の解説を読んでください。

「せむしでびっこの野心家グロスター公リチャードは、兄のエドワード四世王が病に倒れると、王権を狙い、その明晰な知能と論理で次つぎに、残忍な陰謀を企て、ついに王位につく。 魔性の君主リチャードを中心に、ばら戦争の結果とヨーク家の内紛を辿り、口を開いた人間性のおそろしい深淵に、劇詩人シェイクスピアが、真向うから対決した傑作史劇である。」

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このロバート・ヘルプマンのリチャード三世の写真はすごくて見たい気持ちになる。1956年なのでむり。

リチャードは、冷血漢で、兄弟も甥も、自分を王位につけるために殺します。500年前のイギリスの舞台というのは、今のようにカーテンを下ろして場面を変えたり、書割があったりしないし、回り舞台とかも勿論なく、照明なんてなし。蝋燭は火事の元になるから明るい内だけという訳で、役者はせりふの中に場所の設定やら、天気の様子まで入れて観客に知らせる。という訳でせりふは長くて、そして、心の内もせりふに含ませて、観客に告げます。

さて、リチャード三世は皆に嫌われ、母親さえも嫌っている。でも女を口説くのはうまく、自分を憎む女を妻にしたりする。それが、人間の弱い部分をついていて、ペテン師の魅力が一杯なのです。本で読んでいると、それほど感じないのですが、これをいったん、役者が動き、声に出すと、突然立体的になり、こちらの心に訴えかけてきます。悪い奴ほど惹かれるのはなぜかしら。

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クエートのりチャード三世。未亡人になった王妃達が嘆きあってるところがテレビに映ってのをリチャードが見ているのだろう。

シェイクスピアの劇は世界中の、どんな時代にでも置き換えられます。きっと人間の普遍的な部分を表現しているからだと思います。ロバート・デニーロの映画のリチャードもすごく良かったし、又ヒットラーのように扱っていたのも良かったです。ふと、リチャード三世は漫画の「銭ゲバ」に似てるなと思い、娘に言うと「それはないと思うよ」と軽くいなされました。

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