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Museum & Gallery アーカイブ

2007年02月03日

ルーブルに於けるアンナ・フォン・クレーフェの肖像画

なぜロンドン便りにパリにある絵の話が?と思われるかも知れませんが、この絵はロンドンで描かれたものですので入れておきました。清教徒革命の時代に売られてパリで落ち着いたのでは?と勘ぐってますが確証はありません。元々はパリガイド協会のサイトに投稿したものです。

一昨年、ルーブルを訪れた折、肖像画の部屋を覗き、偶然にも本で幾度となく出会っていた懐かしいアン・オブ・クレーヴス(英語ではこう呼ばれています)と出会いました。ハンス・ホルバイン(子)が描いたアンは、静かに目を下に向けエレガントだが、手を大きく描いて真正面を向かせたポーズは威厳に満ちています。どういう経緯で、ロンドンからパリにやってきたのかしら?と思いつつ彼女の奇異な人生に思いをめぐらせてみました。この絵は1539年にヘンリー八世という合計6回も結婚した英国王の、4番目の妃候補の現在ならお見合い写真ともいえる肖像画です。王は、最初の結婚は兄の未亡人。別の女性との結婚を望み、離婚が認められないカソリックからプロテスタントへと国教を変え、2番目の結婚。又違う人と結婚したくなり彼女に無実の罪を被せ断頭台に送り、3番目の妃は産褥熱で死亡したので、4番目の妃を求めていました。

この結婚は、カソリック国であるスペイン、フランスとの対抗という目的もあり、プロテスタントのルター派のリーダー、今はドイツに位置するゲルダーラントのクレーヴス公ウイリアムの妹である24歳のアンを、王の相談役であるクロムウエルは薦め、婚約が整い1540年の元日、ロチェスターでふたりは初対面しています。その時見たアンの容貌があまりにも肖像画と違う為にホルバインに激怒し、彼女に失望したというのが定説でしたが、現在では、それよりも、アンが英語をまったく理解できない事、女性のたしなみや裁縫などの教育は受けてはいても、王が好む文学や音楽に無知である事、又、王の好みのタイプは陽気で、楽器を奏でたりゲームを一緒に楽しめる美人だが、彼女は正反対のタイプである事等の方が大きな理由ではないかとされています。なぜなら、ホルバインはその後も宮廷の絵画も手がけており1534年に43歳で疫病で歿するまでロンドンで活躍していたので、アンの天然痘の痕を描いてないのは責められましたが、実際とそれ程大きく差異はないのではないか?多分王が期待をふくらませすぎたのでは?等との意見が出ています。しかし、画家は彼女の顔よりも衣装に凝っているのも事実です。ともあれ、王はアンを気に入らず、一応形だけ1月6日の十二夜に結婚式を挙げ、その後、アンの待女であったまだ20歳前後の奔放で魅力的なキャサリンに魅かれ、アンとの結婚解消を急ぎ、アンがかつてロレーヌ公との婚約を正式に解消していないので王との結婚は元々無効というもっともらしい理由をつけ、この年7月に正式に結婚を解消し、アンも素直に受け入れ、城館、所領、年金、「王の妹」の称号を王から受けました。アンは最初と2番目の妃の悲劇を繰り返したくないと思ったのでしょう。しかし、この結婚を進めたクロムウエルは処刑されました。その後、キャサリン妃は浮気をし不貞の罪で2年後に斬首刑、6番目の妃は王より長く生きましたが、アンはこの妃より10年も英国で安楽に長生きし、王の長女のマリーの戴冠式にも出席し、亡くなる際には貴賎の差なく彼女に仕えた全ての人々に贈り物を残したといわれています。ヘンリー八世の6人の妃の内、王室直属のウェストミンスター大寺院に埋葬されているのは、アン・オブ・クレーヴス唯ひとりです。

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ハンス・ホルバイン(子) 1539
ルーブル美術館蔵

2007年03月01日

嫌いだから見てみよう Gilbert & George

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7階レストラン。すごい雨です。

昨日は友達と一緒にテート・モダーンで「ギルバート・アンド・ジョージ回顧展」を見ました。電話で友人「わたし、彼らのこと、あまり興味ないんだけど、どうしてあんなに人気があるのか知りたいの。一緒に見にゆかなーい?」実は私も好きじゃないけど、気になっていて、何度か展覧会を見ているのだが理解できず、きちっと見たいなと思っていたので、彼女とならあれこれ意見を出し合い楽しめるので、決定。それが昨日。会う場所は、お気に入りのレベル7で、レストラン。しかし、どこでどうなったのか、結局ひとりでランチを食べて、回顧展会場でばったり会いました。よかった。さて、それでは、あまり好きじゃないけど、気になるギルバートとジョージの人気の秘密探検開始。

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ポスターはこんな感じです。

テート・モダーンでは今まで最大規模の展示で、カフェ、通路含めてフロア全部が彼らの展覧会。彼らの作品というと、私のイメージでは、「正方形の額に入った写真の組み合わせた作品。いつもふたりは、おそろいの背広ネクタイ、背が高くてメガネのジョージと、背低いギルバートが必ず作品に入っている。色は目にささるほどの原色。テーマは暴力的。」この日は、回顧展なので、順を追ってみてきました。

まず、ジョージは1942年生まれ、イギリス人。ギルバートは1943年、イタリア人。ふたりとも、ロンドンのセント・マーチン美術学校の彫刻の学生で知り合い、共に芸術活動を続ける。
まずは、60年代は、”生きる彫刻”、”歌う彫刻”、東京で1975年に顔を赤く塗って展示(?)したこともあるという。私達は、「へー、パフォーマンス・アートね、よくありそうよねえ。題さえつけりゃ、ただ立ってるだけでも生きる彫刻よねー。」 次、大きな紙に、彼らふたりが等身大で森の中を歩く木炭スケッチで、”紙の上の木炭の彫刻”。「絵もうまいね、ふーん。こんどは描かれた彫刻ね、でもただのスケッチじゃん。」次、絵はがきを並べた”ポストカード彫刻”を見て、「有名になると、絵はがき並べて十字架つけて、サインいれるだけでも売れるのよねー。」などと意見を述べ合う。その後、四角い額入りの写真ばかりになるのですが、色は赤と黒しか入ってない。解説を読むと、今まで彫刻ばかりやってたので色を使うのを躊躇していたとある。しかし、赤のパワフルさは、黒をはるかに凌ぐと言ってる。すごい、色の力を良く知ってる。この写真のシリーズは現在まで続くのだが、テーマは変化し続ける。70年なかばの不景気な時代、パンクも出現し、アートは直接的で破壊的な時代。街の落書きを作品に入れ、彼らの落書きこそ最もアバンギャルドに見える。私達も少し考え方あらため「へー、時代感覚あるよねー。自分達のことばっかと思ってたけどねー。」となってくる。1980年にはいると、色数ぐんと増し、「私達は、真に自分たちを喜ばせることのみを実行することに決めました!」と、自分達がホモ・セクシュアルであることを前面に出しはじめ、圧倒されるような彼らの美と若さへの賞賛、欲望が、こちらへ伝わってくる。私達は、「これって、ポルノ効果じゃなーい?」「うん」。今思うと、これらが、この展覧会の中で最も感動的でした。1990年前頃から、エイズで次々友人を亡くす経験から暗さを帯びる。又、美しいものを、逆に醜く見せるように作為したりして、彼らの絶望感をあらわす。良き時代の美しい”ヌード”から、赤裸々な単なる”裸体”を表す現代性を感じる。尿や血液の顕微鏡写真も使い、見えない美を探そうとしているよう。その後、自分達の住むE1地域の自分のテリトリーの通りの名を連ね、この地は貧困、移民の過去と現実であることを想像させる。2003年以降はデジタル技術を使い、写真の合成を行うが、わざと、自分達の写真も半身を対象に置き、目だけ塗って面のような顔にして、まるでエジプトのファラオみたいに見える。ゲイであることは、彼らが若い頃は違法だったし、ギルバートはイタリアの田舎のカソリックの生活の中で、宗教による抑圧は強く感じたらしく、どの作品も神に対するアンビバラントな感情が秘められている。ビデオでは、ギルバートがイタリア訛りで「私達は正直に生きてゆきます。美に奉仕します。」と言っている。最後には、「すごいねー、ギルバートとジョージは!」と私達は言い合ったのでした。めでたし、めでたし・・・

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カフェも展示室となっています。本当は撮影禁止なのですが、知らないで撮ってしまいました。
詳しくは、www.tate.org.ukをご覧ください。

2007年03月27日

子供時代博物館 Museum of Childhood

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操り人形のテントの後ろにいるクラウン

今日の午後、ベスネル・グリーンという地区の子供時代博物館へ行って見た。実は友人の展覧会のプレヴューの前の時間つぶしに行ったのですが、すっかりノスタルジックな気分になり楽しみました。

元々は、この辺りは貧民街だったので啓蒙の為の博物館として1872年に開館したらしいですが、1974年から子供博物館になってます。おもちゃや、子供服や、ドールハウス、赤ん坊のものなんかが展示してあって、最初は別世界のものとして見ていたのですが、毛糸で編んだ水着が出てきたあたりから、段々とこの子供の世界に自分も入っていきました。

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「パンチとジュデイ」どたばた劇。Gus Wood が50年使った人形。(1912-1962)

まず、「パンチとジュデイ」という操り人形が目に入りました。そして、ずっと忘れていた昔の友人マヌエロを思い出しました。彼は夫の友人で、チリから亡命してきていて、スペイン語を細々と教えて生計を立てていました。彼は、手先が器用で、センスもいいし、何を話しても楽しくて、大好きでした。よく一緒に話したり、食べたり、飲んだりしていました。そして、りんごを乾かして皺を上手に作って、お婆さんの頭にして、他にも人形作って、おもしろい服着せて、お話作って、一緒に近くのストレットハム・コモンという公園で毎週子供目当ての人形劇をやろうと話し合って盛り上がっていました。ところが、誇り高いマヌエロに夫が冗談を言って怒らせて絶交してしまったのです。私は、マヌエロと一緒に木陰に小さな舞台を作ってふたりで、ちょこちょこ動き回って、子供をはらはらさせたり,笑わせたりするのをとても楽しみにしていたので、この事件がとても悲しかったものですから、博物館のこの操り人形は、久しぶりにマヌエロを思い出させてくれました。ゲイで、賢くて、優しい彼も今頃たぶん70歳くらいでしょう。懐かしくなりました。

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Miss Revlon ミス・レブロンという1956年の人形。服は高校生が作った。

この着せ替え人形は、とてもかわいいでしょう?私も小さいころは着せ替えの服を縫ったり、編んだりして着せ替えて楽しんだものです。自分では不可能なロングドレスをチュールや、レースを姉からもらって作ると本当にたのしかったものです。今頃その楽しい気持ちを思い出したりして不思議な気分。

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このドール・ハウスは1800年位のもの。

ドールハウスは、持ったことはありません。でも、西洋の小説に出てきて聞いたことはありました。私は、お雛様を使って(しかも、ものすごく値打ちのある立派なのを)おもちゃにして、大家族にしてあそび顔も汚くして、髪の毛もぐちゃぐちゃにしてしまったのを、思い出しました。東京の親戚が疎開する時に、私の母に託したという、あの美しいお雛様、私がすっかり台無しにした後は、どうなってしまったのかしら。思い出す度に心が痛むのですが、ドールハウスに又触発され、再度この気分を味わう。

たまには、こうやって過去の世界に戻るのもいいなと思いました。

2007年04月01日

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で鉄の作品を見る Iron Work at V & A

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一昨日、ヴイクトリア・アンド・アルバート博物館に久しぶりに行ってみました。ここは、工芸品の好きな人なら何時間いても飽きず楽しめる、すばらしい博物館。長い間、改装工事をしていたので変化を見たかったのですが、随分ショップとレストランの拡張が行われ、無料の博物館の維持が大変なのを感じました。又、以前は中世の工芸品全般を展示していた部分が、彫刻ばかりの部屋となっていましたが、古いものから現代までのものがあり、変化が分かるし、この部屋は長いギャラリーで中庭から緑や向こう側の赤い壁も見え、外気を感じるので、彫刻に適していると思いました。

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ともあれ、私の大好きな鉄の作品の部屋は、昔と変わらず、真っ黒な重い鉄を軽々と美しく見せていました。イギリス人の苗字で「スミス」というのが多いですが、これは鍛冶屋のことで、鉄は人の生活に欠かせないものだったのだと思います。農作業、馬の蹄鉄、釘、武器・・・。ガイドの勉強をしている時なぜか、武具甲冑にえらく興味が湧き、自分でも理由が分からず今に至っているのですが、鉄製品でも、特に鋳型に入れて作ったものではなくて、鍛冶屋さんが、とんとんと真っ赤になった鉄を打って作った物が好きです。wrought iron と英語で呼びます。なぜかというと、打った後や、歪んだ部分、鋏で切ったりと、手仕事の跡が残っていて、見ていて楽しいのです。

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上の写真とこれは、南ドイツの教会の祭壇前の仕切りゲート。1704年。

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ノール・ハウス Knowl Houseで使っていたものだが、元々はイタリアで、墓の周囲を囲んでいた塀で、16世紀製。花やぶどうの飾りがかわいらしい。

イギリスの森も、コークスが発明されるまでは、溶鉄の為に伐採されてすっかり減ってしまいました。

Victoria and Albert Museum
www.vam.ac.uk

2007年04月04日

人間国宝北村武資氏の羅道行をビクトリア・アンド・アルバート博物館で見る Living Treasure Mr Takeshi Kitamura's "Ra"woven coat at V&A

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北村氏の羅作品デテイール。博物館は暗く写真がうまく撮れないのでカタログのスキャン

北村武資先生は、古代中国から日本に伝わったが、長い間失われていた羅と、経錦の復元と技術によって重要無形文化財技術保護者(人間国宝)になられた方です。

実は私の友人の叔父さんで、ロンドンの大和ファウンデイションにて、先生と、研究されている染職作家の方達の会「うすはたの会」の作品展が行われるので、先生もロンドンに行くので、ひまな時など困るでしょうからめんどう見てくださいとの事で、2005年の秋に、5日間ほどご一緒させていただきました。

実際は、先生のお世話どころか、こちらの方があちこち一緒について行って、返って沢山頂くものが多かったのです。飾らない、真っ正直な性格が、こちらまで洗われるような、良い気持ちにしてくださいました。

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私、佐野さん、北村先生で展覧会場へ向かう

毎日予定がびっしりで、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館にも訪問して、テキスタイルの部屋で、キュレーターの方が、古代の裂を見せてくれて、ルーペで見ると、捩れているのが見える。これが、古代の羅だ!と感激。コレクションの美しいのを色々見せてくれた後、「では、最後に最高のものをお見せしましょう」と言って持ってきた箱を開けて、全員「うわー!」と喜びました。何と、1995年に、博物館が買い上げた、先生の羅の道行だったのです。

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先日博物館へ行った折、日本の部屋に足を踏み入れ、北村先生の、あの道行が展示してあるのを発見して、つい微笑んでしまいました。「先生、こんにちわ」と挨拶しました。色々と話したのを思い出します。大和ファウンデーションに展示してある作品が、とても明るいオパック・ブルーで、古代にはなかったような感じです。それで伺いますと、「織が古典だから、色はモダンにしたんや」というお答え。楽しいですよね。最後の日は皆さんがハロッズでお買い物中、先生お疲れで、ふたりでカフェでビールを飲んで、私は淋しい気持ちと共に、先生は、きっともうすぐ帰宅できるのでほっとした気持ちで、四方山話を楽しみましたが、今もなつかしいです。

製作過程のビデオを見ましたが、経糸を捩って織るのに、特別の装置を考え出したり、ものすごくメカニックで、エンジニアのようでもあると思ったものでした。布は退色を避ける為、長時間同じものを展示しませんので、せいぜい訪れる機会を増やして、ご挨拶のチャンスも増やしたいものと思った次第。

2007年04月08日

チューリップ・マニア その1  Tulip Mania

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我が家の裏庭でやっと咲いたチューリップ。雑草だらけ。

今、イギリスは、復活祭やすみの真っ只中です。金曜日にイエス・キリストが十字架で処刑され、日曜日は復活した日ということで、今日はラジオでも朝から教会からの放送等していました。でも、金曜日と日曜日に合わせるので、日にちは毎年違うのがよく理解できないですけど。イランの領海に進入したとして、2週間拘留されていた英国海軍の水兵15人が、「復活祭の恩赦」として解放されましたが、キリスト教の人にとっては、クリスマスと同じ位、大切な日のようです。

さて、今日も良いお天気で、20度近くの暖かさです。庭に出てみると、待っていたチューリップが咲いているではありませんか!ちょっと影なので、なかなか開いてくれなかったのです。

さて、チューリップというと、実は前回、ビクトリア・アンド・アルバート博物館を訪ねたとき、好きなイスラムの部屋に行って、タイルが好きなので、見ているとチューリップが目に入り、次に皿を見ると又チューリップ。探すと次々現れます。チューリップは中東が原産で、トルコからヨーロッパに伝わったらしい。最初にヨーロッパに伝えた人は、名前が分からないので、ターバンにチューリップを飾ってる人に名前を尋ねると「チューリパンド」と答えたそうだ。実なトルコ語でターバンのことで、そのまま伝わったということらしい。

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トルコ、イズニックで製作。1570-90年頃。グリーンに変化あり、黒のアウトラインで力強い。チューリップだけじゃなく、カーネーションも入っている。

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トルコ、1600-1700年頃製作。リネンの上に絹で刺繍。絹織物が高いので、おりもの風に飾っている。とてもチャーミング。

さて、この下の2枚の布は、絹に金モールの糸を織り込んだ豪華なもので、1595年のトルコのスルタンの子供の死体に着せてあったもの。解説を読み、驚き、胸が痛んだ。ムラト三世は19人の息子がいたが、その中のひとりをメフムト三世としてスルタンに就かせ、他の子供は、後の争議の元とならないように全員殺したらしい。そのうちの2人の王子の死に装束なのだ。そこにもチューリップが織り込んである。

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1550年頃から、チューリップ柄が流行したということですが、その他にも色々な花柄が入っています。ヒヤシンス、カーネーションも好まれたようです。

2007年04月09日

チューリップ・マニア その2  Tulip Mania

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ヤン・バン・フイサム作 静物 1718-20頃描く。  Jan van Huysum、 Vase with Flowers

この絵はダリッチ美術館所蔵の、オランダの画家、フイサムのもの。どうです、この多種の花!四季の花を入れる為に、完成させるには1年を要したと言われます。1581年にプロテスタントの国として、スペイン領ネーデルランドから独立。偶像崇拝が嫌われたので、この絵のような静物画を見て、聖母マリア像の代わりに瞑想したそうです。彼の静物画は、当時、絵画に求められた写実性=技術がある、という要求に応えたもので、レンブラントよりも高く売れたそうです。

例えば、ばらは聖母の天国の愛、しかしトゲがあるのでキリストの受難とも取られる。ゆりは聖母の純潔さ、オレンジの花は苦いので受難の苦しみ、アイリスは三位一体を表し、しおれている花、虫、水滴は「はかなさ」を表すとか、何もかも意味があり、大変。(こんなこと言っては、いけないですけど)

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拡大図。縞のあるチューリップはビールスに侵されているのだが、これが最も高価だったそうです。

それはそうとチューリップが真ん中で、えらく目立っていると思いませんか。別に神との関連性を調べても発見できないし・・・。実は、チューリップがオランダに輸入されて、大流行となって値が急上昇し、1630年には天文学的な値になったそうで、それは「チューリップ・マニア」と呼ばれたそうです。1株が、1万3千ギルダーで、銀カップ5個、雄牛20頭、10バレルのワインと20バレルのビール等などと同じ価格という高さだったそうで、絵を買った方が安かったそうです。しかし、1637年には暴落し、その後の絵画の中はチューリップは萎れてるのが多いそうですが、これもそうですね。「はかなさ」を象徴してるのかしら。

2007年05月13日

王立芸術院でモネのパステル画、素描展を見る Monet's Pastels & Drawings

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王立芸術院 Royal Academy of Arts の前庭。銅像は初代院長のレノルズ。創立記念日か彼の誕生日か定かではないが、年の一度、花輪がこの像にかけられ、かわいらしくなる。

先日、「知られざるモネ展」と題されている、パステル画、素描の展覧会を見にいってきました。彼は1840年生まれで、作品はモネ17歳位からの素描が展示してあり、晩年に至るまでの変換をそれ程多くない作品から伺うことができ、たいへん興味深かった。

十代のときは、カリカチュアの人物画多く、家族や友人に見せて笑っている場を想像して微笑んでしまう。でも段々と絵画にのめり込む感じが、素描に出てきて、そのうちパステルを知ってからは、今私達が想像するモネ・・柔らかい光に包まれたような絵が出てくる。

解説によると、モネは正式な美術教育を受けなかったのが幸いして、キャンバスに直接描くようになったと信じられていたが、実はスケッチをしてから油絵にした絵も沢山あったという事が素描と油絵の併設で理解でき、おもしろい。

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展覧会のカタログ。これは、モネが1901年にロンドン滞在時、絵の具が到着しないのでパステルで、滞在していたサボイ・ホテルから描いたウオータールー橋。当時、スモッグで汚れていたが、それが、彼の絵をますますモネらしくしている。

スケッチブックは全部息子に残したそうだが、800枚に及ぶスケッチがコンピューターに収納され、来館者は1ページずつ見れるので、ファンにとっては、楽しそう。

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展示の最後の作品で1918年。(絵葉書なので部分)これの解説によると、「白、黄色、緑のリボンのような線で描かれたこの絵は、あたかも素描と色とが遂に混ざってしまったかのよう」とある。晩年の美しい睡蓮の絵で、うっとりと見つめて、幸せな気持ちになりました。

この展覧会は6月10日迄です。www.royalacademy.org.uk/monet

2008年10月10日

地下鉄駅とナショナル・ギャラリーに於けるアクタイオン Actaeon

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これは、ウェストミンスター駅での大きな広告。ジーンズの広告だが、いかにも自虐趣味の男がひざまずいて「いたぶってください!」と森の中で言っているように見えます。何といっても、上半身の裸体がセクシーなので、そう見える訳で、なかなかインパクトのある広告です。

さて、これは多分ギリシャ神話の「デイアナとアクタイオン」という話から取っているのではないか?と思うのです。デイアナは森の中でニンフを連れて狩りをする女神で、男性が大嫌いなのです。でも、彼女が水浴びをしているところを、たまたま同じ森で、猟犬を連れて狩りをしていたテーバイ王の孫のアクタイオンが見てしまい、怒ったダイアナはアクタイオンに角を生えさせ、鹿に変身させて、彼の連れていた猟犬に噛ませて殺してしまう・・・という残酷な話なのです。

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The Death of Actaion, about 1565-76, TITIAN , National Gallery, London

この絵はテイツイアーノが描いたもので、猟犬だけではなくデイアナ自らも弓を射てます。これはスペインのフェリーぺ二世から「アクタイオンが彼の可愛がっていた猟犬に八つ裂きにされている場面を」という注文だったそうですが、デイアナが入っていることによって残酷さが和らげられています。テイツイアーノの後期作品で筆のタッチが大胆で、好きな絵です。この王様はサドだったのかしら?なんて思ったりしますが、それにしてもこの話は、たまたま裸身を見ちゃったアクタイオンが可哀そうでもありますね。

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