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Letters from London アーカイブ

2007年02月04日

entente cordiale

イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡はたったの30km。今、フランスには20万人の英国人が移住して、美味と青空を楽しみ、逆に英国には30万人のフランス人が住んでいます。2007年1月30日には、次大統領候補のSarkozy氏がロンドンを訪れ、在英仏人向けの、選挙運動をしました。以下の文は、英仏協商百年を記念して、パリガイド協会サイトに寄稿したものです。
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英仏協商記念に建てた時計塔。ヴィクトリア駅の前にあり、あだ名は「リトル・ベン」。

2004年はEntente Cordiale〔英仏協商〕の百年記念で、春にエリザベス女王がパリを訪れたのを始めとして、次々と友好の行事が行われ、締めくくりは秋のシラク大統領のロンドン訪問でした。この時の歓迎の催しのひとつとして「レ・ミゼラブル」をウインザー城で上演しました。王族をギロチンにかけた歴史を持つ国の大統領をお城の中で、しかも革命思想の含まれるミュージカルで歓待なんて、本当にイギリス人のユーモア感覚溢れるもてなし方ですね。
この英仏両国の記念すべき年にロンドンガイド協会とパリガイド協会の会長がはじめて会い、交流を始めました。それまで全く異国と思っていたフランスがとても近く感じられるようになり、よくイギリス人が「フランスは兄弟。だからケンカしてもすぐ許す。」というような身近さが少し理解できるようになりました。そこで私の知っている範囲内で、英仏の関係を少し見てみようと思います。

まず、英国王室最初の王様はウイリアム征服王といい1066年にフランス、ノルマンデーから来ました。フランスではノルマンデー公ギョームと呼ばれ、領地を海の向こうに拡げたという感じでしょうか。宮廷ではフランス語を使い、墓も占領地の英国よりもノルマンデーに作りました。ノルマンデー大公の子孫達は百年戦争(1337-1453)を通してフランス離れして、イングランド人の王という確固としたものになってゆきます。それまで現地人の言葉として蔑まれていた英語の最初の小説が、この戦争中に書かれたチョーサーの「カンタベリー物語」です。現在の英語の語彙の50%はフランス語から来ているといわれます。

英国は、年に国王1534至上法が成立し、カトリックから離脱しプロテスタント国になりました。一方17世紀後半のフランスではルイ十四世が新教徒を圧迫しましたので、逃れてイギリスに住み着いた新教徒も多く、手に技術を持つ人々が多かったので英国の工芸に貢献しました。特に銀細工や織物で、ロンドンではPetty Franceでは羊毛織物、Spital Fieldでは絹織物が有名でした。

ルソーの「自然に帰れ」の思想は、英語に訳され読まれました。フランスでは革命という政治的な動きに結実しましたが、英国では文化に影響を与えました。産業革命や農村の囲い込みによる小農家の圧迫等で、18世紀中頃は人間性が無視された時代でしたので、おおいに歓迎されました。感覚と自然への愛、哀れみ等が重要視されました。ゲーンズボローの自然なポーズの肖像画や、ロンドンの公園のあまり剪定などしないのびのびと枝を伸ばした木々に、今も見ることが出来ます。しかし、革命そのものがやってこられては困るので、政府はヨーロッパ大陸への旅行を禁止しました。その時に英国人は自国の美をみつけますが、今一番人気ある景勝地の湖水地方もそのひとつです。

19世紀の英国は多くの画家を生みました。ターナーの晩年のもやのかかったような、色だけで表現しているような風景画は印象派に引き継がれ、コンスタブルの実際に見ながら描いた空や、水の流れや、木々の表現などは特にドラクロアをびっくりさせ、ラファエロ前派もフランスで人気を得ました。
今日、英国の美術館やマナーハウスへ行きますと、フランス革命時に、どさくさに紛れて美術商がどんどん買ってきた絵や工芸品があり、バッキンガム宮殿の夏季オープン時にも探せます。又ルーブルへ行きますと、17世紀英国の清教徒革命の際、売りに出された絵が回りまわってきたのではないか?と思われるバン・ダイクのチャールズ一世〔1649年、共和制政府により処刑)の肖像画や、それより約百年前の国王ヘンリー・の宮廷画家だったホルバインの絵などがあり興味深いです。

さて、今や英仏海峡トンネルが1994年に開通し、2時間35分でユーロスターで行けるようになりました。これのお陰でイギリス人の島国根性は薄まり、フランスへの移住がどんどん増えています。イギリスの食べ物はおいしくなってきており、紅茶人口は減りコーヒー党が激増する等、これからも大きく変化してゆくでしょう。パリのポンピドー・センターは英国人のRichard Rogersの設計でしたが、2004年12月完成の南仏のMillau高架橋も、英国人Norman Fosterのデザインです。優雅にカーブしていますが、これは実利的な理由ではなく、橋を通っている人が、現在通過中の橋を見ることが出来るようにという意図だそうで、とてもすてきだと思います。

天気が良いとフランスから、イギリスの白い岸壁が見えます。2005年もきっと沢山の英仏交流があるでしょう。パリガイド協会の皆様に、新年のご挨拶を送ります。

2005年 1月3日  ロンドンにて

稲垣 由美子    

2007年02月08日

雪の日

朝カーテンを開けると窓の外は真っ白。昨日、天気予報で言ってたのがホントウだったのです。雪は静かにずっと昼まで降り続けました。新聞で読むとこの10年間最高のロンドンの降雪量だそうで、私の住んでるあたりでは10センチ位積もりました。そこで、朝9時頃、近くの森”Dulwich Wood”を夫と歩きました。足跡は人間5人、犬2匹、マウンテン・バイクの跡もあります。随分少ないので驚きました。やっぱり、雪の日は出たくないかしら。私の里は雪深い北海道ですので、歩くときしきしという雪の感触、顔に降りかかる雪の冷たさ等、なつかしく感じながら歩きました。夫は映画の「シチズン・ケーン」の話をしはじめ、大富豪の主人公が、貧しい子供時代に遊んだ、橇の模様のばらが人生に於ける幸せの象徴としてるのとを、私とは全く違う場所、時代なのに、子供の頃を雪に託す心をおもしろく感じました。
30分も歩くと少しずつ人や犬が増えてきました。ひとりで、さっさと歩いている老人は”It's a beautiful day!”と挨拶を送って去って行きました。まったく美しい朝でした。でも、交通は大混乱の朝だったのです。学校も休みになった所が多く、子供は喜んだと夕刊新聞に書いてありました。

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自宅前の雪景色

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ダリッチ・ウッズの雪景色

ダリッチ・ウッズについては、ここを空けてくださいファイルをダウンロード

2007年02月11日

今日は晴れ、曇り、雨、後晴れ、そして、やっぱり曇り

今日は日曜日。来週の土曜日にダリッチ美術館で、年に一度の「世界ガイデイング・デー」のボランテイアをするので、展示換えが大好きなギャラリーを見にいってきました。面積に比べて、600点以上の収集品なので、沢山見てもらおうという考えか、しょっちゅう絵が変わり、場所も変わります。お客さんにはとても良いことなのですが、ガイドにとっては、目が離せない悪戯っ子と、かくれんぼをしてるような具合で、「あらあら、こんな所に掛かってんのね!あれをメインに話そうと思ってたのに消えちゃった!」という具合です。
土曜日のお客さんは、在英日本人の方が主ですので、漱石が感銘を受けた”シドンズ夫人”にご登場願いたかったのですが、不在。ロココの絵が多い部屋が、当ギャラリーの所蔵ではない、Brinsley Ford Collectionという新参に全部使われてしまい、大好きなヴァットーも見れません。という訳で下見は必須なのです。

イギリス人に人気のあるカナレットの特別展が行われていて、ものすごい人気で20mくらいの列ができていました。「イギリスにおけるカナレット」という題で、彼が9年間滞在し死ぬまで描いたロンドンと近郊の絵の展示です。ヴェニスの人ですので、水が大好きなのか、テームズ川が多いです。ロンドンっ子におなじみの風景が、18世紀にタイムスリップする点が人気の秘密でしょうか。これは、今までで一番集客の多い特別展になるかもしれません。

我が家から、ダリッチパークを自転車でつっきると10分かからずに行けるのですが、表題の天気は、往復の天気です。

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ギャラリーからダリッチ・パークを通って家へ戻る時の天気

2007年02月19日

とっくに過ぎたバレンタイン・デー

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観覧車”London Eye”の基部を止めてある所のバレンタインのハート


バレンタイン・デーはとっくに過ぎたのですが、なぜこの日が特に恋人達の為のものなのか、諸説あるので、ちょっと書いてみました。こんなに色々あるんですよ。

1、聖バレンタインは二人いて、同じ2月14日にローマ支配化で禁教であったキリスト教だったので処刑された。そのひとりは、ウンブリアのテルニの守護聖人。さて、14世紀の小説家チョーサーが、鳥がつがいの相手を決めるのが、この殉死の日なので、それが、恋人達の日に転化したのではないか。
(Guide Post、 feb 2007 より)

2、3世紀、ローマ皇帝クラウデイウスは士気向上の為、兵士の結婚を禁止するが、バレンタインはこっそり結婚式をあげてやったりした。彼の殉死の日が、転じて、恋人達の日になった。又彼はキリスト教信仰のため、処刑されるが、その前夜、死刑執行人の娘に愛の言葉を書いた手紙を書いた。その終わりに”from your Valentine”、 「あなたのバレンタインより」と書いたのが、今もカードの送り主が書く元になった。最古のものは、1415年でフランスのオルレアン公シャルルが、アジンクールの戦いで負けてイギリスに連れてこられて、ロンドン塔に拘留中、妻に書いた詩だそう。
(Covent Garden, feb 2007より)

3、上の結婚式をあげてやったバレンタイン(バレンチノ)の殉死の日と、ローマ時代の”ルペルカリア祭”という、豊穣の神ユノの祭の前日が2月14日で、彼の処刑は、この祭への生贄と考えられ、ふたつが合わさって恋人の日となった。このルペルカリア祭とは、祭の前日に未婚女性たちが、自分の名前を書いたものを箱に入れ、翌日男性がそこから選んだ女性が祭の間のパートナーとなり、そこから結婚にも発展したカップルが多いそうだ。
(UK Jack, 7feb 2007 より)

ともあれ、この日は花屋が大忙し。沢山ブーケを作って、いつもの倍もの値段で売っています。たまたま私もこの日は観劇のため外で食べなければならなかったのですが、レストランも予約で一杯。早めだったので、何とか夕食にありつけましたが、周りは皆カップルばかりで、テーブルの上で手と手を載せあったり、甘い言葉をささやいたりと、いつもと違う雰囲気でした。

さて、この日の劇は、ハロルド・ピンターの冗談の短い劇の集めたもので、しかも、コックニーというロンドン下町言葉で話すもの。ウイットに富んだものらしく皆笑っているが、私には分からない!!。日本で外国人が漫才や落語を聞きに行ってると思って下さい。演目のひとつが、病人同士が電話で話し合っていて、ふたりとも瀬死の状態らしいのに、「元気かい」「とても元気よ、でも・・・(無言)にも拘わらず」というような意味のない会話がずっと続くのですが、この演目だけ分かりました。会話の・・・が英語で”in spite of・・・”となるのですが、どうもその無言が意味するところが、最悪の事らしいんですね。ネガテイブな事をはっきり言わないイギリス人らしく、これだけは笑えましたが、幕が下りてぐったり疲れが出ました。英語を聞きとるので疲れ、理解できないので劣等感で落ち込みました。私の誕生日が前日なので夫が気を利かせてプレゼントしてくれた劇ですが、やはり、プレゼントは良く考えて相手を喜ばせるものにしてもらいたいですね。

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幕間にシアター・ロイアル・ヘイマーケットより、向かいのハー・マジェステイ・シアターを見る。「オペラ座の怪人」を上演中。あれ、見たいなあ・・・と思いつつ。

2007年02月20日

ある兄弟のはなし "Complete Surrender"

この話は1ヶ月前に、新聞で読んだものです。

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Guardian  Jan 17 2007より Ian and David

始まりは、第2次世界大戦中に遡りますが、ローズさんという女性は夫が戦地へ赴いてる間に恋に陥り、子供を身ごもります。しかし、夫に見つかっては困りますので、彼が戻る前に里子に出そうと、地域新聞に「求む、生後1ヶ月の男の子の家。決して後あと、会いに行ったり、親権を求めたりしません。(complete surrender)」という広告を出します。彼をもらい受けた人の苗字はシャープさんで、レデイングという駅で渡されました。

ところが、ローズさんの夫はノルマンデー上陸作戦中、命を落とし、その結果、彼女は、この男の子の父親でもある恋人、陸軍士官のマッッキュアン氏と結婚しました。6年後に次男が生まれ、イアンと名ずけられました。長男は、約束どおり、この夫婦の子供であるのも拘わらず、シャープ家の子として育ったのです。彼の名前はデービッドといいますが、育ての母が亡くなった後、身内から自分が里子であることを聞かされ驚きます。しかし、彼は真相を探求するのを急がないで、60才になるまで待ち、救世軍の家族調査サービスに頼んで調べてもらいました。そして兄弟は出会います。

さて、弟のイアン・マッキュアンは、"Atonement", "Enduring Love" 等書き、CBEという勲章をもらう程の有名な小説家となり、兄のデービッド・シャープは工事現場で働くレンガ積み職人になっていました。ふたりの出会いは嬉しかったもので、イアンにとっては、自分に兄がいるとは想像もしていなかったので、「大きな驚き、大きな喜び」と述べています。又、お兄さんの方は、「私は弟の名前は聞いたこともなかったが、今では彼の小説は全部読んだ。でも、彼が道路清掃人でも、小説家でも、何の関係もないんですよ。とにかく彼は私の弟なのですから。」と書いてます。同じ両親の許に生まれても、こんなに違う人生を送った兄弟。弟はオックスフォード近郊の高級住宅街に住み、私立校からオックスフォード大学へ進み、有名な小説家になり、兄は南東イングランドを転々として、出合った時は、ウオリングフォードという、労働者の多く住む町に住んでいました。このふたつの町はたったの24kmしか離れていませんが、20年もの間こんなに近くにいたのです。

2007年02月22日

花だより

ロンドンの春を告げる最初の花は、公園の芝生を、紫や黄色で色付けるクロッカスです。ある日突然出現しますので、見つけると「あ、春が来たのね」と嬉しくなります。水仙は色々な種類があり、派手な大柄なものから、背丈の低い控えめものまであり、色も白っぽいのから、濃い黄色まであり、あちこちで咲くのを楽しみに公園や、よその庭を覗きます。ロンドン中心地でしたら、バッキンガム宮殿そばの公園、グリーン・パークと、セント・ジェームス・パークが、女王在位50年記念に大量に球根を植えましたので、あと1週間もすると見事だろうと思います。下記の写真は近所のものです。それから、何といってもアーモンドの花が私は大好きです。最初は桜かと思っていました。色もきれいなピンクですし、葉っぱが花が終わった後出てくるのも桜と一緒なんです。でも、幹を見て桜の皮と違うので、やっと理解したという具合。長い冬の間おとなしくしていた黒っぽい大木に、ピンクのもやが、かかった様に見えるアーモンドは、段々と日が長くなる兆し、重いコートを脱ぐ時期が近いシグナル、暖かい風がやってくる期待など・・・私にとっては、春の喜びを感じさせてくれる木です。

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自転車から見たアーモンドの木

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ダリッチ・パークのクロッカス

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ホーニマン・ミュージアムの庭で咲く水仙

2007年03月04日

ロンドンの春の写真。宮殿の庭と、我が家の庭。

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我が家の裏庭の池の蛙。リラックス!

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バッキンガム宮殿前のセント・ジェームス・パークのクロッカスと後ろは水仙。豪華!

2007年03月08日

友達との日  Phil's exhibition and An extraordinary Japanese dinner

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Philip Mead, フィリッピ・ミードと彼の作品。本人もびっくりする位色が明るくなった。日本で90年代に個展をしたこともあります。

きのうは、友人の展覧会を見に行き、その後はロンドン市内で他の友人と夕食をしました。画家のフィル夫婦は以前近くに住んでいたので、よくご飯を一緒に食べたり、庭の情報交換をしたりして仲良くしていたのですが、3年前に引っ越して、その後あまり会ってなかったので、彼の展覧会は良いチャンスなので、ロンドン南のホーシャムという町の文化センターに電車に1時間乗って行ってきました。フィルも1時間かけて来て、一緒に見て、とりとめもない話をして長い間の空白を、コーヒーと一緒に埋めました。

彼は笹川財団の補助金で一昨年、東京へ行ってきました。日本で、皆ちゃんとごみをゴミ箱に捨てるのを、昔のイギリス人と同じなので、とても親近感を感じたとのこと。「今はすっかり、変わっちゃって・・・」そこで私は「日本では学校で放課後、自分達で教室の掃除をするから、皆ゴミの行く末を知ってるからね。」彼驚くも、納得。次は靴についてで、どうも地下足袋が印象深かったらしい。「靴底がすごく薄いブーツ」という表現で、あれいいねというので、私は昔から日本では、下駄やぞうりのようなサンダルを履いていて、地下足袋は特別の作業用のものと説明。そこで、彼は「足場でサンダル落ちたら危ないからか、ふーん。でも、冬寒いんじゃないの?動物の皮の利用はしなかったの?」と聞いてくるので、「だって、日本では肉を食べるのは明治以降一般的になったので、家畜は農耕用で食用じゃないから、皮革も出てこなかったんじゃないの。」と答える。「へー、こっちじゃ、周り海で囲まれてるのに、食べるのは肉ばっかり。中世は、家畜も家族と一緒に住んでいたんだよ。」・・・と、とりとめがない。楽しい友人との再会でした。

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これが私が一番気にいった作品。古い布を地に使っていて、黄色い丸が厚い絵の具でひびが入り、そこから地の黒がランダムに見える。又、この黒の絵の具が滲みて布目に入り、美しい。布の古びた感じが、懐かしい気持ちにさせる。又、布の赤い線がものすごく生きている。丸が線で繋がってるのは、物事や人の関連を表してるのだそうだ。彼は偶然を生かすのがすごくうまい。でも、それは、日本の陶器を見て得た感覚だそうだ。


その後、ロンドンに出て、日本人の親友と夕食。来週デボンへ引っ越すので、むこうではあまりない日本食レストランへ。ここは、すごい本格的日本の味レストラン!とにかく日本食そのものが存在。何といっても、イギリスで普段お目にかからない食材を使っているのです。みょうがを久しぶりに食して、大感激しました。今も舌に残るあの味。おいしい白ワインと共に、飲んで食べて喋って、楽しく過ごし、幸せになって帰宅。これも、友達のおかげ!本を読んでいて、食べ物について書いてあるのを読んだだけで食欲が出る食いしん坊の私なので、心から満足。お腹いっぱいで、写真とるの忘れてしまいました。

楽しい友達との1日でした。

(追記)この頃は英国に10万人以上いる日本人の為、日本食料品店は、遠隔地でも出張配達サービスをしています。きっと料理が上手な彼女は、デボンの新鮮な魚と、自宅の庭で沢山の日本の野菜を植えて、おいしい日本食を作って楽しむでしょう。遊びに行って食べさせていただくのが楽しみ!

2007年03月17日

マドンナがデザイナーに!? 

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昨日、歩いているとこの巨大なポスターが、目に入りました。この色っぽい目は確かマドンナでは?この頃はモデルもするのかな?と思って下を見ると "Designed by Madonna " と書いてあって、そうか、マドンナがデザインした服を、自分で着て、宣伝してるのだと納得。

それにしても、"H&M" というお店は、安いので有名な若い女性に大人気のチェーンの服飾店で、このブラウスだって、14,99ポンドという安さです。2年前にステラ・マッカートニーのデザインの服を、このH&Mで格安で売ったり、最近では、1960年代のリプロを作って売ったりと、何かしら注目をあびる店でもあります。

昨日はバスで移動中に、時計か何かのポスターにもマドンナらしき顔があったので、もしかしたらマドンナは、多方面のデザイン活動に興味をもちはじめたのかもしれません。すっかりイギリスに住み着き、忘れた頃に話題を提供してくれるマドンナ。自宅の裏庭(といっても広大な土地)が、誰でも散歩できる、パブリック・フット・パスであったのを、不満として裁判を起こしたり、アフリカの子供を養子にするのに、他の人と同じややこしい手続きをしないで連れてきたとか。人が何を言おうと、パワフルなマドンナは動じません。

彼女のデザインした服が3月22日に発売される前から、きっと行列ができるでしょうね。

追記; 興味のある方は、マドンナのサイトをご覧下さい。
     www.madonna.com
( Madonna relieses H&M commercial ! )

2007年03月22日

大西洋横断奴隷船の禁止から200年  The abolition of the transatlantic slave trade

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今日の新聞のロンドン市長からのメッセージ

今年は、イギリス船による大西洋横断奴隷運搬が1807年に廃止されて200年になります。でも、新大陸、西インド諸島等の植民地等での完全廃止には、1834年まで待たなければなりませんでした。ともあれ、英国領内における奴隷制廃止への一歩を踏み出したこの条例が可決されたのが、3月25日ですので、イギリス中で記念行事が行われています。恥ずべき歴史のひとつですが、そこから学ぼうとする姿勢を国中で表しているように見えます。

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オラウダ・エクイアノ

ウェストミンスター大寺院でも、祈祷が行われ、又レクチャーもありました。そこでは、オラウダ・エクイアノ Olaudah Equiano という奴隷から奴隷解放運動家へとなった人の話がされました。

彼は1745年頃、11歳で今のナイジェリアでさらわれて新大陸につれて行かれ、奴隷として売られました。英領ヴァージニアで、イギリス人キャプテンのパスカルに買われ、新しい名前を与えられ、その名を呼ばれて答えるまでぶたれたそうです。しかし、読み書き計算を習い、色々な国を回り航海術も習い、7年後売られた時は、ロバート・キングという商人で、40ポンド貯めて1766年に自由を買い取りました。彼はロンドンに来て、奴隷解放運動家と知り合います。同じく黒人の友人、オッタバ・クゴアノが、「アメリカにおける奴隷の物語」を書いてジョージ3世に奴隷の実態を知ってもらおうとするのに、協力もしましたが、王は動じませんでした。

彼は、1789年に自分でも「アフリカ人、オラウダ・エクイアノの生涯」という自伝を書き、奴隷の生活の悲惨さや不公平を一般に知らせるおおきな役を果たし、ドイツ、アメリカ、オランダでも出版され、彼の存命中に1900冊も国中で売れ、各地で公演もしました。1792年にはケンブリッジシャーのイギリス人と結婚し、長女は早く亡くなりましたが、次女は父から10万ポンドもの遺産を残されました。

イギリスの奴隷解放推論者たちが、アフリカに奴隷が戻れる国を作ろうという運動を起こし、オラウダはその指揮者に選ばれていたのですが、達成前、1797年に亡くなってしまいました。シエラ・レオンはイギリスの保護下、1807年から8年にかけて、そうやって出来た国です。

イギリス人は、新大陸の植民地で砂糖、木綿、タバコなどを作る労働者として、アフリカから鉄砲などの武器を主な交換物として大量に連れてきたのです。1790年代の英領西インド諸島だけで52万人もいたそうです。又、非常に高い利益を受けていたので、なかなか国会でも廃止にもってゆけませんでした。廃止運動の率先者はクエーカー教徒でしたが、彼等は国教会ではないので、選挙権もなく、国会に訴えることはできません。議員で42年間も頑張ったのが、ウイリアム・ウイルバフォース William Willberforce で、この1807年の成果も、彼を中心として行われました。彼のお墓はウエストミンスター大寺院にあります。

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「私は人間ではなく、兄弟でもないのですか?」と書いてある、ウエッジウッドのメダル

陶器メーカーで有名なウエッジウッドの創立者、ジョサイア・ウエッジウッドも奴隷廃止運動家で、自分のお金で何千個ものメダルを作って、アメリカのベンジャミン・フランクリン始め多数の人びとに働きかけました。

2007年03月24日

国立肖像画美術館にて National Portrait Gallery

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ヴィクトリア時代の胸像の前でアフリカのドラムと踊り。子供が一緒に参加。別の部屋では、黒人の語り部の話もあった。

きょうは仕事の後、お腹がすいたので中華街へ。レストランの向かいに、日替わりで、少し時期遅れだけど、安く見れる映画館「プリンス・チャールズ」があり、プログラムを見てみると、今日4時に、見過ごしたベアトリス・ポターの話「ミス・ポター」が上映されるというのを発見。2時間ほど街で時間をすごして待つことに決定。

そこで、近くの国立肖像画美術館へ行くと、すごいドラムの音ががんがん響いている。むむ・・、これはアフリカだな!明日が大西洋横断奴隷船禁止記念日なので、その行事の一環のよう。入り口で地図をくれて、細かくマークした有名人の肖像画の部屋番号が書いてある。それに沿って見て行くと、その人の奴隷に対する見解が説明してあり、大変興味深い。エリザベス1世女王は、アメリカの植民地を作る時すでに、奴隷を使うことに許可を与え、彼女自身も投資している。この時の海外進出の主役のドレイクが黒人メイドを使い始め、それがファッションに。その後の王達も、しっかり奴隷商売に投資しているし、ニュートンも、アレクサンドラ・ポープも南海商会に投資。1778年のメソジスト派創設者のジョン・ウエズリーは、非人間的なこととして反対。弱者の味方と思ってたチャールズ・デイッケンズは、ジャマイカの奴隷蜂起に反対で、がっかり。トーマス・カーライルは黒人差別者で、「劣等人種、怠け者」と形容。この人もこんな考え方だったとは知らなかったので残念。白人以外は劣等と考えていた人が多かっただろうけど、こんな知識人も同じだったとは・・・。勿論、解放論者も沢山いたけれど、この、ひとりひとりの検証は、おもしろかった。

さて、映画はとてもチャーミングだったので、又いつか書きたいと思います。湖水地方がいっぱい出てくるし、ロマンチックなのです。きょうも又、興味いっぱいの日でした。先週は風邪でだるかったので、元気に過ごせて、嬉しかったです。

2007年04月15日

今日は26度!ダリッチ美術館の庭の木を見に行く

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良い天気です。ユダの木 ”Judas Tree”の下で。  本を見ると、「キリストを裏切ったユダの首吊りの木」と書いてある。すごい名前ですが、花はとても可愛いです。

今日も良い天気で、外に出なきゃ青空に申し訳ないような気分。庭掃除をしてから、いつかしてみたいと思ってたダリッチ美術館の庭の木探検に行ってきました。”Trees in the garden"というパンフレットを以前もらっていたので、別に木の図鑑をリュックに入れて公園を通って行く。朝11時には家族連れがいっぱいで、イースター・ホリデー最後の日を楽しんでいる様子でした。本当に皆、のーんびり楽しんでる。

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ガイドの仕事は、「何でも知らなくてはいけない」ので、木も知らなくてはいけないのですが、これが全然、識別できないし、覚えられなくて、他の人が遊んだり、木陰で寝転んでいる時でも、こうやって木を見て、図鑑みて、独り言をもぐもぐ言ってる・・・。あー情けない、いやですね!

みなさん、私には木や花の名前を聞かないでくださいね。お願いします。

2007年04月17日

HAIKU 俳句?

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先週末、フィルから、冊子になった「作品」が送ってきた。内容は芭蕉の俳句にインスピレーションを受けたコンピューターで作った画像。なかなか面白い!それにしても、芭蕉の俳句を知らない無知な私を恥じる。でも、英語で雰囲気を味わって、彼の作品を楽しむ。

この木の名前は知らないが、あふれんばかりの甘い香りの真っ只中に立っている

さて、何とか私も返事を出したいが・・・。俳句は作ったことないし困った・・・。そうだ!色で言葉にしちゃおう!

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上の英語の俳句、美しい芭蕉の言葉で詠みたいですが、分かりません。どなたか、おしえてくださいますか。

2007年04月19日

イギリスの桜

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リップリー Ripley という村の道端のさくら。木が大きいので、花が点のように見え、もやがかかったよう。本当は八重で大きい花なのですけど。

さくら便りを送りたいと思いつつ、きれいだな・・・と言って喜んでいる内に、段々と色褪せ、終わりになってきて、これじゃ写真とりたくないな、来年にしましょうと諦めておりましたが、一昨日、ギルドフォードの村道をサイクリングしていましたら、ちょうど美しい桜を見つけました。

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さて図鑑をみてみます。イギリスに最初にきたのは1822年で、中国経由で日本から。原産は中国だが、現在みられるような桜にしたのは日本。原種は、英語でJapanese Cherry, ラテン語Prunus serrulataで、英国に最も多い種類。ふむふむ・・。これは、何という種類かな?皆似ているなあ、もしかしたら ”Kanzan"かしら?

日本のお花見がなつかしい。イギリスの人もピクニックして、おなじように楽しみますけど、あの日本での、あの年に一度だけ楽しむお花見は、何かものすごく意味があるような感じがします。ともあれ、桜は、イギリス人も大好きで、公園や街路樹や、家の庭に植わっていて、春の気分を盛り上げてくれています。

2007年04月20日

我が家の庭の春

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うちの庭は、ひょろ長い。一番奥は、毎年野菜を植えるが、いつも手入れが悪いので、まともなものが出来ない。それでも、夫は、毎年試みるのですが、春はこのように「忘れな草」が咲く。

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ライラックも咲いた。なぜかロシア絵画にとても多い花だ。さわやかで、しかも甘いライラック色。

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りんごは、昨秋短く剪定したので、花も少ないが、きっと元気がある実がなるだろうと期待している。

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いっぱい植えてあるチューリップもきれいに咲いている。うれしい!

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また雑草。この青い花は「ブルー・ベル」と言って、イギリスの春のカーペットとして皆に愛されている。

これは、きのうの写真で、暖かい日だったのですが、今日は冷たい風がふき冬のようです。それでも、確実に夏に向かっているのですから、気分としては、うきうきです。これらの花を見ると、そういう気分になるのです。

2007年04月24日

衛兵と記念写真 Windsor Castle

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冬の間はグレーのコートだった衛兵も、4月になると赤い制服になります。

私もお客さんと一緒に記念写真を撮ってもらいました。若いハンサムな衛兵の隣に立つと、ちょっとてれます。この写真を見ると、何だか彼も私に寄り添ってるみたいで、手をつないでいるように見えるでしょう?本当は全然接触してません、そう見えるのは、写真を撮った時の角度によってです。この衛兵は、カメラを持ってる若い女性をじっと見ているのです。

ウインザー城にて。

2007年04月28日

イギリス流健康キャンペーン

SAVE0030.jpgきのう、アールス・コートの友人宅を訪ねた折、駅の傍に一番下の広告が大きく展示してあった。これで、セックスも医者のすすめる健康法となり、下には、Get your 30 minutes a day, any day.(とにかく毎日30分おこないましょう)と書いてある。見てびっくりする人も多いだろう。

先週見つけた新聞の記事で、ブリテイシュ・ハート・ファウンデーション British Heart Foundationという、心臓病を減らそうと言うチャリテイ団体の新しい広告が紹介されていた。イギリスはヨーロッパでも心臓病になる人が多く、政府も国民に、カロリーの低い食事にするようにとか、運動をするようにと、呼びかけているのですが、このBHFの広告も、上から「水泳、庭仕事、犬の散歩、洗車、そして、セックス」の奨励をしている。これらを、定期的に行い、15分にひとりは心臓病で命をなくす状況を改善してゆこうとのすすめ。

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これは、この冬に駅で見つけ、おもしろいので撮っておいた広告。新聞のタイムスTimes のもので、「太りすぎの子供は53歳に死ぬので、年金問題も解決します。」
ぎょっとする話をさらっと書いてるのが笑うが、子供の肥満もイギリスの社会問題のひとつ。健康に関しての関心が少しずつ向上してはいるが、まだまだ日本ほどではない。

2007年05月04日

マロニエの木

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ウインザー城のマロニエ。

この季節、マロニエの花ざかりで、おおきな花が咲いている。イギリスは、木をあまり短く剪定しないので、のびのびと大きく伸びている。マロニエというのは、フランス語で、実は英語ではHorse Chestnut と言う。直訳すると「馬の栗」。うわー、さえない!という訳で私はもっぱら「マロニエ」とエレガントな音で呼んでいる。

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花は、このように藤が立ったような感じで、こちらでは、シャンデリアとか蝋燭台を想像するらしい。とても立派な花です。

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友達のフラットの窓から見た赤いマロニエ。すばらしく美しい。

おおきな木ですと10階建てのビル位もの高さで、花が霞のように見え、まったくこの季節しかない美しい自然の被造物で、感動します。もう、人工美を凌駕する自然の美に圧倒されるのです。

2007年05月11日

さよならブレア首相  Good Bye、 Mr Blair !

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5月10日の夕刊新聞。6月27日に女王に辞任を提出すると公表した。

10年前、40代前半で首相になったトニー・ブレアが辞任発表を彼の選挙区のセッジフィールドで行った。彼は首相になった時、自分は「戦争を知らない子供」で平和主義と言っていたのに、5回も軍をおくり、イラク戦争のあった2003年頃から人気が落ちてきていたし、最近では上院議員の資格を党の財政の為、売ったのではと疑われたりして、信頼も減り、今年中に辞任すると言っていたので驚かないが、何と最後に、歴史に残る偉業を成し遂げた!

それは、北アイルランドのプロテスタント(多数派)とカソリック(少数派、武装組織 IRA )の和解で、この確執は300年以上にわたり、泥沼化した争いを終わらせたいという強い意志と長期的視野で、彼が就任した翌年、不屈な精神で5日間にわたる円卓会議で、和平合意。

これは、すごいなと思いました。実際、それまで、毎年クリスマスの月は「テロの月」という感じで、私も慣れっこになっていたのが、全くテロが消滅したのだから、すごい。

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No Surrender 1690 (降伏なし) と壁に書いてあるプロテスタントの家。1690年、それまで立て篭もっていた自分達を、ボイン川でプロテスタント王が救い、カソリックの軍を破ったのを記念している。

でもIRA が武装解除の不完全とか、プロテスタント側でも、IRA (党名 シン・フェイン)を正当な党として認めない等、この和平合意も空中分解するのでは・・・と思われつつ10年。それが、この3月25日に、両党主の合意があり、先週実際に、「テロ集団とは口をききたくもない」と言っていた頑固者でプロテスタントのイアン・ペーズリーが議長に、昔はテロ実行犯だったカソリックの、マーテイン・マックギネスが副議長になり、アイルランド議会が開催されたのだ。ふたりが笑って一緒にいる写真を見て心から嬉しいことだと思った。これは、ブレア首相の偉業だと思います。

その他、スコットランドとウェールズに自治議会を持たせたり、父親産休を自分もとってみたり、上院(貴族院)議員を1200人から半分に減らしたり、同性愛者の入籍を認めるなど、なかなか斬新でもあった。
しかし、すべての国民にパーフェクトなリーダーであるのは不可能だろう。10年前は若かった首相も時には老眼鏡をかけ、すっかり皺もふえた。Good Bye, Mr Blair!

2007年05月22日

ロンドンの花壇と、デボンの雑草

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ロンドンのテート・ブリテン(英国絵画美術館)の前の花壇

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デボンのダーテイントン・ホールというお屋敷のそばの雑草

先週は、スケッチをするグループと一緒にイギリスの西部を主にツアーに行きました。その時に見た雑草が生い茂る草原は、黄色に白と紫の花が、かわいらしく混じり、とてもきれいだったのですが、ロンドンの街中の、テート・ブリテンの前の花壇は、まったくこの野原と同じような植物を植えてあるので、つい微笑んでしまいました。とてもしゃれた、街の中の野原だな・・と感心しました。

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美術館の前の野原。イギリスの田舎を彷彿とさせるガーデニングです。

2007年05月25日

衛兵もたいへん! 

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先日、チェルシーの衛兵のバラックの横を通り、衛兵達が女王の誕生日記念行事の演習をしているのを見て思わず笑ってしまいました。いつもバッキンガム宮殿やウインザー城で、すまして行進しているのを見ているものですから、戦闘服と、熊の毛皮で出来た行事専用の帽子の組み合わせの、アンバランスさに驚いてしまったのです。

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いつもはメロデーのある鼓笛隊にあわせて行進するのですが、練習なので太鼓の拍子に合わせて大きく足を上げて行進の練習をして、ちょっと一休みの衛兵。彼らは、自衛隊のような志願兵で、戦争とあれば出かけます。行進の時の楽しい音楽と、赤い服で、楽しいイメージをもちますが、本当は楽な仕事ではなく、実は命がけなのです。リラックスした衛兵たちを見ると、ふつうの若者の素顔が見えました。

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青空の下、元気に美しく行進する衛兵。 ウインザー城にて。

2007年05月27日

チェルシー・フラワー・ショー Chelsea Flower Show

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これは、「ローマの香り」という題の庭で、出品者は,昔ローマ軍の駐屯地でもあったリーズ市 (Leeds in Yorkshire)で、発掘調査にもとずく植物ー大部分は薬草らしいですーを、デザインは現代流行のカッテージ・デザインにして作ったとのこと。紫でまとめてあり、すてき。

さて、5月22日から26日まで、イギリス最大の花の祭典、チェルシー・フラワー・シヨーが、退役軍人さんの施設であるChelsea Royal Hospital の庭で行われました。入場券は売り出す直後に売り切れになるという程の人気で私はあきらめていたのですが、有難いことにお客さんについて入場できました。ものすごく混んでいて、前評判の高いモデル・ガーデンはなかなか見れませんが、花に対するイギリス人の熱情が理解でき、楽しかったです。国営放送であるBBCも毎晩、実況放送をテレビで流し、入賞者の発表をしたりします。

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この豪華な色合いを見てください。すごい!!

プレヴューは、社交界の場で王室、貴族、各ソサエテーの花形が集まり、これに招待されると鼻高々ということですし、又、このフラワー・ショーに展示できると、デザイナーも花屋、関連会社も、この筋では箔がつくということで、完璧にすばらしく見せています。

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これは、アメリカのワインヤードが出品した、環境保護を意識した庭で、花は殆ど野の花で、土質、肥料にペスト除去等、すべてを自然に合わせて作っているそう。

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上に反して、これは化学肥料会社の出品。頑張ってます。

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会場外の、キングス・ロードのお店も、一緒になってフラワー・ショーの気分を盛り上げてます。

2007年06月06日

地下鉄の駅で見かけたすてきなロゴ

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イタリアのピサまで片道39ポンド

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スペインのマラガまで片道45ポンド

上はどちらも英国航空の格安航空券の広告で、ぱっと目に入るすばらしいデザインです。ピサは工業都市ながら、しゃれた現代的な町をイメージして、マラガは水の近くの雰囲気がよく出ています。
忙しい朝の目のオアシス。おしゃれなデザインですね。

2007年06月10日

ゴルフの穴はうさぎ穴??

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早朝のゴルフ場。うさぎがいっぱい飛び跳ねている。人に慣れない動物らしくて近くに行くと逃げるので小さくしか写ってませんが、見えますか?

昨晩、ゴルフ場のついたホテルに泊まりました。周囲がずっとゴルフ場で、ホテルはマナーハウスだったものでとても立派で、お庭もすてきで、まったくゴルフのすきな方には天国のような所では・・・と思いました。私はまったくゴルフを知らず、以前仕事で、お客さんと全英オープンを見にスコットランドへ行き、色々と教えていただき、少し理解して、ずぶ濡れになって見ていても楽しく感じたものでした。緊張感ありますよね。

さて、ゴルフはなぜ始まったの?という話をどこかで読んだのですが、羊飼いが暇な時に、棒で石ころをうさぎ穴や、もぐら穴に投げ入れたのが始まりと書いてありましたが、今日の朝は、実際のゴルフ場にうさぎがいるので、おかしくて写真を撮りました。調べてみると、記録に残る最古のプレーは1100年、スコットランドで、ゴルフ・コースでは、やはりスコットランドのエジンバラ、1456年だそうですが、ゴルフそのものの発祥は諸説あり、中国、オランダかも?ということです。

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ホテルに入る、くねくねと曲がったゴルフ・コースのそばの道

2007年06月14日

汽車の1日 Bluebell Railway and Romney,Hyth&Dymchurch Railway

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RH&D(ロムニー・ハイス・アンド・デイムチャーチ鉄道)はミニチュア鉄道。線路の巾がたったの45cm位です。でも、ちゃんと石炭を燃やして水も補給して、シュッポシュッポと元気に走る蒸気機関車。働いている人は、殆どがボランテイアで、皆この鉄道を愛して、自分の時間をこの鉄道の為に費やして喜びを感じているらしい。この機関士さんの、車体を磨く姿は、愛情に溢れていた。

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RH&Dの汽車が小さいのがわかりますか?

さて、一昨日鉄道が大好きなお客さんと、楽しい鉄道めぐりの旅に行ってきました。先ずはロンドン南東のイースト・サセックスで、ブルーベル・レールウエイという、廃線になった鉄道を使っての、蒸気機関車に乗りました。これは、蒸気機関車を愛する人びとが1960年に保存会を作り、積極的に走らせています。数ある保存鉄道の動きはこのブルーベル鉄道が発端だそうです。のんびりした田園風景の中を、コットン、コットンと懐かしいリズムで走り、踏み切りでは、ポー!!と大きな汽笛を鳴らしてゆくひと時は、ノスタルジックな感じでした。人気があり、年間20万人の乗客がいるそうで、職員は皆ボランテイアだそうです。

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ブルー・ベル鉄道。約30分の旅の途中で見た駅。バラがきれいに咲いている。

この後、ドーバーの方へ移動して、RH&Dミニチュア鉄道にのりました。上の写真をご覧下さい。ちいさいでしょう?1927年から始動で今年は80年記念。私達を引っ張った機関車もその当時のものでしたが、手入れが良くぴかぴかしていました。チビでも線路は21km位あり、スクール・バスならずスクール・トレインとして使用されたり、第2次世界大戦中は、軍用にも使われたとのことで、いつも大活躍です。

この2つの鉄道体験が目的ですが、ロンドンへは在来線でフォークストンから戻り、ウオータールー駅でユーロスター(ロンドンーパリ国際列車)を見て、英国で一番線路が入り組んでいる、クラファム・ジャンクションにも行って、地下鉄でおしまい。お客さんのKさんと共に、私もすっかり楽しませて頂きました。

2007年06月18日

「馬頭」と言うけれど・・・

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ロンドン市内観光をしていると、騎馬兵が立っているホースガード・ゲートの前を通り、バッキンガム宮殿の周辺では必ず騎馬警官がいるし、この騎馬警官はよく警邏のため道路でも見られ、どうしても馬をよく見ることになります。最初はあまり気がつかなかったのですが、ある時、ホースガード前で渋滞して、私達のバスも動きが鈍くなり、じーっと騎馬兵を見ることになり、「今日の騎馬兵はハンサムですねー。1時間も黙って立ってるのは、人間も馬も大変ですよねー、こうやって喋り続けるのも大変ですけどー。」・・・そして馬に目をうつしますと、何とも美しい馬なのでした。たてがみは、ほどほどに乱れていて、その下の目が程よい離れ具合、又、立ってる趣が品があり、その横の馬と比べると、更にその馬の美しさが良く感じられたのです。

それからというもの、馬を見ると、顔の美しさを見るようになりましたが、この写真の馬は、本当に「キュート」で、大きな目、色が白なのが更に引き立て、女性騎馬警官も美人なので、お客さんと一緒になって私も写真を撮ってしまった次第。きれいでしょう?

2007年07月26日

ツール・デ・フランス? Is it Tour de France?

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今年で第94回、3週間に及び、全長2500Kmもの大自転車レース「ツール・デ・フランス」開催中。今日はステージ16で、ピレネー山脈のあたりです。薬物使用の選手が外されたニュースが流されましたが、今回は、出発地点がロンドンでした。7月6日にトラファルガー広場で開会式をして、ロンドン観光地を走り、その後、緑の美しいケントへ向かい、カンタベリーを通過して、フランスのダンケルクへ向かい、途中2日の休憩日があるとはいえ、3つの険しい山を越えなければならない、タフなレースの真っ最中という訳です。最終地点は、パリのシャンゼリゼで、今月29日です。

さて、この写真も何やら皆、真剣な顔で自転車運転中の人びとですが、実は彼らは通勤のサイクリストです。朝9時頃、ケンジントン・ハイ・ストリートで撮ったのですが、信号待ちの度に沢山の自転車が見られました。今ロンドンは世界で一番自転車が増えている街ではないでしょうか。

サイクリスト激増の主な原因は、環境問題がひとつで、もう一つの原因は," congestion charge"と呼ばれる「混雑税」を節約しようという企みからではないかと思います。勿論、運動になるし、地下鉄代節約の一石二鳥でもありますが。

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混雑税は、朝7時から夜6時の間、ロンドン中心部の区域内に入る車、1日8ポンド(約2千円)徴収されます。地域内に住む人、8人以上乗る車、タクシー等は無税で、前日に電話やコンピューターで車のナンバーを登録、クレジットカード等で支払います。違反者はカメラで摘発。これにより、混雑が25%緩和され、ロンドン市は収入増だし、自転車人口増えることにより排気ガスが減り、これにより京都議定書の目標に接近できると・・・良いことばっかりのようですが、マイカーがどうしても仕事などで必要な人には不評です。

イギリスのサイクリストは、写真のように、ヘルメットに黄色のベスト等着て、立派な自転車に乗ってる人多く、あまりカジュアルな感じではありません。でも、私の折りたたみチャリンコみたいのも流行ってて、電車に畳んで持って入り、通勤している人も多いです。国会議事堂あたりでは、テーラー・メードのおしゃれなスーツにヘルメット姿の議員もよく見られ、特に保守党党首のデビッド・キャメロンが有名です。(でも、これはポーズだけという噂もありますが)

今月は観測史上、最高に雨の多い7月ということで、サイクリストには、あまり嬉しくない天候ですが、ロンドンでは、皆元気に自転車に乗っています。

2007年07月29日

ボーイスカウトが生まれて100年 (その1) 100 years of Scouting Movement

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7月27日から10日間にわたり世界160カ国から4万人参加予定されている、ボーイスカウトの大祭典である「ジャンボリー」が、ウイリアム王子とケント公爵の開催宣言により、エセックス・パークランドで始まったとの記事が新聞などに一斉に発表されましたが、これもそのひとつ。特に今年は創始百年という事で大々的に行われます。「リンゴをかじりながらのテント設営に、チーフリングの交換。でも酒気は皆無。温厚に生まれついたテイーン・エージャー達」という見出しの「ガーデイアン」の記事。この開催地は普段はロック・コンサート等が多く催され、同じ10代の若者でも、酔っ払ったり、反社会的行動をする者が多いので、このような見出しになったのでしょうか。

さて、ボーイスカウトは、どのように生まれたかというと、イギリス人の軍人であったロバート・バーデン・パウエル Robert Baden-Powell(1857-1941)が、ボーア戦争最中、街が敵軍に200日の長期包囲され、その間少年達に、伝達や見張り等の仕事を与えると、彼らは、厳しい戦時下でも責任感をもって真面目に活動するのを見て、その後、街は解放され、彼は、暖かな交流と訓練により、将来を託すことのできる青少年を育成できると確信しました。「スカウト」というのは、軍隊用語で、彼らの任務であった「斥候」を意味します。

その時の体験を元に、「スカウテイング・フォー・ボーイズ」という本を書き(20世紀に於いて、聖書、コーラン、毛沢東語録の次、世界4番目のベスト・セラーです)、その後、ブラウンジー・アイランドで、上流階級と労働者階級の子供達の混成で、実験キャンプも行い、これが1907年なので、今年が百年記念という訳です。この本は大変な評判となり、読者たちが、自発的に組織をつくりはじめたのが、発祥とされています。実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、形にとらわれない戸外活動を通して心身ともに健全な青少年の育成と教育が目的です。宗教、人種に関係なく、世界的な広がりをしていて、日本には1908年にすで伝わり、1920年の第1回世界ジャンボリーに3名出席。その内には、北海道岩内から下田豊松という人が参加していて、郷里に近いので嬉しく思いました。

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この写真は、若い頃の十三夫叔父です。私の家族は、昭和26年に養護施設を始め、戦争孤児や、事情のある子供さんを預かっていました。私達の家もくっついていますので、一緒にすごした時間が多いのですが、この叔父は高校1年の時から職員となり、事務や子供達の世話をしたりしていました。村のことですから、よそ者で親のない子供達は、とても可愛そうだったのですが、叔父はボーイスカウトを彼らの為に始めました。
この春、叔父は56年間の多岐にわたる福祉への貢献を認められ、端宝双光章という勲章を授与され、その記念冊子に、少し書かれていましたので抜粋します。

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「昭和31年、生活指導の一環として養護施設では北海道内初めて、全国でも4番目のボーイスカウト活動を学園で採用した。その頃入所児、特に中学生は社会的に問題行動を有するものが多く、田舎の施設に多く入所してくる傾向にあった。この活動を通じ次代を担う少年たちに大きな夢を抱かせようと、アルバイトで新聞配達をして制服を揃えることから始まり、野営テントや工具を揃えて全道、全国、アジア大会へも参加した。このことを通じて少年達に、与えられる生活から自立することへの自信を与えることが出来た。」

ボーイスカウト百年記念と受勲が同じ年というのも、何だか嬉しい気持ちです。このスカウト達は、毎晩、拍子木を打って「火の用心、マッチ1本火事の元!」と、スカウトの活動のひとつである”日々の善行”で、雪の夜でも、施設内の建物の周りを歩いて、火事警戒をよびかけてくれていました。今でも、彼らの立派な制服姿や、キャンプ中の少年達の姿が目に浮かび、くるくる細く巻いたチーフを首にしている少年を見ると、懐かしい気持ちになります。

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25日に見た、大英博物館を見学後、疲れているスカウト達。ジャンボリーでは、元気一杯だっただろう。

ボーイスカウトが生まれて百年(その2) Be Prepared !

そなえよつねに

これは、スカウトのモットーで、「いつなん時、いかなる場所で、いかなる事が起こった場合でも善処が出きるように、常に準備を怠ることなかれ」という意味です。その最たるものは、スカウト運動創始者のバーデン・パウエルの遺書ではないかと思います。彼はケニアに引退し、亡くなる3年前、81歳で世界中のスカウト達への最後メッセージを書き残しました。私の拙い訳をお許しください。

親愛なるスカウト諸君へ

もし「ピーター・パン」の劇を見ていたなら、海賊のキャプテンがいつも死に際の言葉を考えているのを思い出すだろう?なぜなら彼はその期に及んだら、きっと胸から出る言葉を吐く時間がないだろうと予想しているからなのだ。実は私も同じ境地だ。だから、今私が世を去る訳ではないけれど、今の内に君達にお別れの言葉をおくりたいと思う。

思い出してほしい。これが、最後に君達が聞く、私からの言葉だ。よく理解してほしい。

私は実に幸せな一生を送った。私は君達ひとりひとりも、同様に幸せに生きてほしいと思っている。

私は、神が私達を、楽しく幸せに暮らしてほしいと、この陽気な世界に置いて下さったのだと信じている。幸福とは、金持ちになったり、仕事で成功したり、道楽したりではない。もうすこし先を見てごらん、健康で強靭な自分になるよう少年時代に努力して、大人になって世の役に立つ人になるのが、本当の幸福なんだよ。

自然を学ぶと、いかにこの世が神が創りたもうた美と驚きに満ち溢れているかが分かるだろう。自分に与えられたもので満足し、それを最大限生かしなさい。物事の暗い部分をみるのではなく、明るい部分に目をむけなさい。

しかし、本当の幸福というのは、他の人を幸せにすることだ。君達が生きている今日よりも、少しでも良い世の中になるよう努め、自分が死ぬ時、この一生は無駄に過ごしたのではない、最善を尽くしたのだと、感じられるのが真の幸福である。幸せに生き、幸せに死ぬために、スカウトのいつもの約束の「そなえよつねに!」を、少年時代を過ぎても忘れないようにしなさい。そして、神は、君達がそうするのを助けてくださるだろう。

君達の友人

ロバート・バーデン・パウエル                                                                                                                                                                                                        

2007年08月23日

秋の気配

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今日は朝からずっと雨が降り、肌寒い。とにかく最近ずっとこうなのです。
ウエールズから遊びに来ていた友人は、暗いロンドンから早く脱出して、午後はカーデイフに戻って晴天の下、クリケット観戦を楽しむ・・・と朝食後早々に駅に向かっていきましたが、いつもはロンドンが晴れていても雨ばっかりのようなウェールズの方が良い天気なんてヘンな感じですが、北海道が沖縄より暑いなんてニュースを聞くと、ここだけの事でもないらしいですね。

上の写真は我が家の裏から見た隣家の庭の木ですが、雨が降ってる最中です。赤い実がいっぱいついた「ななかまど」。その後ろには、りんごが色付いてます。この写真の木はまだまだ青々としていますが、木の葉の緑がだんだん濃くなって頂点に達し、次に黄色がかってゆく時、これがどうも昔からイギリス人は絵画に描くのが好きなようだなと感じます。昨日車から両側に見えてくる木々を見て「あ、コンスタブルの色だ!」と強く感じました。

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お次は我が家の玄関の方に出て撮った写真。昨日の雨がやんでる時のものですが、この木々は日向なので、もうすでに少し黄色がかっているのが分かるでしょうか。イギリスの木々は、カラフルな紅葉はせず、黄色から茶色への微妙なグラデーションで、とてもシックです。

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John Constable "The Hay-Wain" 1821 ナショナル・ギャラリー所蔵
どうでしょうか?このコンスタブルの「干草車」の木々の色は、まさに秋になろうという時期の濃い緑と黄色がかった感じではありませんか。

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Thomas Gainsborough "Wooded Landscape with Peasant" 1747 テート・ブリテン所蔵
コンスタブルより80年前に描かれたゲーンズボローの風景画。面白いことに、上の2枚の絵は同じサフォーク県で描かれている。重い空の色、木々の向こうの麦畑に教会の塔も見えて、とても英国らしい。この絵の葉の色も共通のものがあるように思えます。

これから、日々、木の葉が変化してゆくのを楽しみます。レンガの建物の茶色、グレーの空、人びともあまり派手な色の服を着ないので、すべてが落ち着いた色合いになります。春夏の花がいっぱいの美しさとは別の魅力ある秋のイギリスも良いですよ。

2007年08月25日

今日は暑い!5:40PM at platform 2 at New Cross Gate and 7PM in my back garden

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仕事が終わってホームに座っていると自分の影が濃くて長いのに驚く。昨日までの寒さがうそのように暑くなった。

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帰宅すると、夫も外で仕事をしている。寒くて雨の日々の後は、やっぱり戸外が気持ちよいし嬉しいらしい。

2007年08月31日

ダイアナ妃が亡くなってから十年。ケンジントン宮殿にて   The Tenth Anniversary of the Death of Diana, Prince of Wales

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きのう、ダイアナ妃の住居であったケンジントン宮殿に行って命日前日の様子を見に行ってきました。沢山の報道陣が今日のために準備をしたり、妃を慕う人びとが来ていました。これは、ダイアナ妃を「心の女王」と書いている、手作りの賞賛のカード。

1997年8月31日深夜、ダイアナ妃は、恋人のドデイ・ファイヤッドと共に、パリのセーヌ川近くのトンネルをバイクで追っかけるカメラマン達を避けるため、暴走して、事故となり亡くなりました。まだ36歳でした。

その朝はテレビで事故の模様をリピートして放送しており、びっくりしたのが昨日のようです。ダイアナさんは、正直な方で、器用におりこうさんぶったりせず、又恥ずかしがりやで、愛されていました。この時も、イギリス中の人びとが、悲しみに包まれて、いつもは王室拒否の人たちまで、「かわいそうなプリンセス」について話をしたものです。妃の住居であったケンジントン宮殿前は花で埋め尽くされ、セント・ジェームス宮殿は、追悼の言葉を書く人びとが長い列をつくったのです。

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十年前のケンジントン宮殿の前

今これを書きながらテレビで、ガード・チャペルでの慰霊祭を見ています。比較的こじんまりとした衛兵達の為の教会で、5百人位という、お葬式に比べると、親身な感じの礼拝です。この教会は衛兵が戦死した時にお葬式したりするような所で「人びとの心の女王」らしいと思います。ふたりの王子は、当時12歳と15歳の少年でしたが、今は立派な大人になり、この礼拝も企画しました。女王はじめ王室の方々、3代の首相、ダイアナ妃は120以上のチャリテイを援助していたそうですが、この関係者や、17人のダイアナさんが名ずけ親になってあげた人びと、エルトン・ジョンやブライアン・アダムスなど歌手の友達、恋人のドデイの妹などの顔が見られますが、カミーラ夫人は王子達が招待したのですが、参加していません。ダイアナ妃の好きだった賛美歌や、クラッシク音楽などがずっと流れ、王子達がスピーチや祈りの言葉などを捧げるなど、母に対する愛情に溢れていました。特にハリー王子の言葉は自分達は母を失った子供達で、悲しい思いをしたが、それを全ての可愛そうな同じ体験をした子供にも同情を表すなど、感動的でした。母を失う悲しみは王族でも普通の人でも同じでしょう。王子達の顔を見て、彼らの悲しみが垣間見られました。

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ハリー王子のスピーチ。いつも暴れん坊のニュースが多いのだが、きょうも率直で心からの言葉を母に送っていました。

離婚して王室から出たダイアナ妃に、このような慰霊祭を行い、生前のよきことを思い出し、御霊に礼を尽くすのは美しいことだと思います。

2008年04月17日

ロンドンは本日も晴天なり・・・ Long Absence

昨年9月から日本へ帰っていたものですからブログに手をつけられず、すっかり書き方さえ忘れてしまっています。父が病気で倒れ、是非とも、14歳からずっと離れて暮らしている彼と一緒の時間を持とうと思い帰郷しました。

母の葬式が7月だったので戻りましたので、すっかり忘れていた(夏はガイドが一番忙しい時期なので帰れないのです)気持ちがよくて緑が美しい夏に感激したものですが、秋に再訪したので、イギリスでは見られないパッチワークのようにカラフルな紅葉、そしてすごい量の雪が降る冬、雪解けで滝が筋をつくって、どうどうと山肌をつたうエネルギッシュな春・・・と北海道の四季に身をおき、親戚や昔からの近所の人や知人、皆と50年前に戻ったように親交を暖め、なつかしい故郷で長い時間を過ごせたのは、父の病気という負の理由ではあるけれど、有難い時間でした。

長い間の不在中のイギリスでは、首相がトニー・ブレアからゴードン・ブラウンに代わったり、電車賃が高くなっていたり位の変化はあったけれど、いつものロンドンが待っていました。晴れの日が年々増えているのも変化なし。

2008年08月13日

ウイッスラーの母親像 Whistler "Arrangement in Gray and Black; The Painter's Mother

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The Painter's Mother 1871, Musee d'Orsay, Paris

ウイッスラーは1834年に生まれ、1903年に亡くなったアメリカ人の画家。この絵は彼の母親像ですが、清教徒らしく禁欲的な黒のドレス。ウイッスラーは彼女とは反対で、本能的な美を追及する思想なのですが、なぜかこの絵は白と黒という清教徒的な色で描かれている。しかし、それが美なのです。19世紀に、こんなシンプルな色使いは、返って挑発的です。この黒の使い方、特にドレスが真っ黒に見えて細部がまったく見えない点など、まるで浮世絵的、版画的なアプローチで、油絵なのに平面的に描いています。好きという訳でもないのですが、なぜか忘れられない絵です。題が「灰色と黒の構成」ですから、お母さんは題材になっただけのようです。

そこで、私が先週行った北ウエールズで、ボートに乗っていたら、たまたま横向きの女性の姿がこの絵を思い出させて写真にとりました。この場合はグレーの空と海に、茶色の髪の女性がウイッスラーの絵を彷彿とさせた次第です。

2008年08月24日

4年後はロンドンでオリンピック! Even Better Olympic Is Coming To London 2012 !

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今日は北京オリンピックの最終日。2012年はロンドンで開催されますので、ボリス・ジョンソン市長が北京市長から移譲される儀式に出席しているので、テレビを見て楽しみました。

北京の豪華絢爛な式は、絶対にロンドン市は真似できないと思いますが、連日放送される北京の様子は少なからずロンドン市民をあわてさせ、北京のように市民ボランテイアの準備、施設建設のスピード・アップ、その他準備しなければならない事が山程あるのだ・・・と、新聞テレビでも話し合っています。

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それはさておき、テレビを見ていて感じたのですが、北京でのオリンピック旗をボリス市長が受け取った瞬間から、中国の統制のとれた豪華なものから、まったく軽い、自由な空気が、ブワーっと会場を満たしてきたような感じがしました。自由!これこそが、ロンドンの魅力だと思います。ボリス市長のいつものボサボサ頭、前を開けたままのスーツ姿、歩くときもポケットに手を入れたままで、まったく彼らしいし、赤い二階建てバスが登場し、ダンスを周りでするのだが、全員違う動き、次にジミー・ページが表情たっぷりにギターで伴奏する中、ロンドン下町のハックニー出身のレオナ・ルイスが、レッド・ツエッペリン "Whole Lotta Love" を、差しさわりのある歌詞を省いて歌うのだが、きれいなだけではない個性のある声だし、ベッカムがサッカー・ボールを蹴って終了となって、何だか楽しく2012年のロンドン・オリンピックを迎えたいという気持ちになりました。ちょっといいかげんなところもあるけれど、違う個人がお互いを尊敬しながら生きている街、ロンドンが良く表れたパフォーマンスだと思いました。

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上の写真はバッキンガム宮殿前の集まった人、人、人で、ここでコンサートが今開催中。下は私の見た昨日のリハーサル。

昨日お客さんとバッキンガム宮殿に行き、先週から宮殿のそばに建設されはじめていた舞台が完成し、リハーサルですてきなロック音楽を演奏していて、ウキウキした気持ちになりましたが、今日はここでロンドンでのオリンピック終了コンサートが行われていて、ロックからオペラの曲にいたるまで、活躍した選手なども舞台に上がっての、良い天気でのお祭り気分最高の様子がテレビにうつっています。今回はイギリスはメダル取得が中国、アメリカ、ロシアに次いで4番!で、英国航空も機体を金色にペイントして選手を帰還させるという歓迎ぶりです。
途中、空軍が赤白青のユニオン・ジャックの色の煙を吐きつつバッキンガム宮殿上空を飛び去り、まだまだお祭りは続いています。
きょうは午前中からなんと午後5時の今でも、まだテレビにくぎずけ!!

2008年08月29日

トラファルガー広場周辺の午後 Around Trafalgar Square

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トラファルガー広場からは、ずーっと向こうにビッグ・ベンが見えてロンドンっぽい。

金曜日午後のトラファルガー広場は、週末の催し物の準備で工事の人たちで大忙し。又ここは観光客が集う場所だし、道が交差しているので、ロンドン市民も一週間の仕事を終えてのんびりと通り過ぎて行きます。

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セント・マーチン教会から見たナショナル・ギャラリー

私は昼で仕事を終えたので、ナショナル・ギャラリーで「急進的な光」Radical Light という特別展を見に行きました。これはイタリア、ミラノでの一九世紀後半の動き「デイビジョニズム」Divisionism 、分離派とでも言うのでしょうか、聞いたこともない一派の展覧会だったのです。これは、フランスで生まれた点描画からインスピレーションを受け、画布上に絵の具を置き、重ねることにより彩度の高い明るい絵を描いていますが、点描と違う点は、薄めた絵の具を短い筆さばきで重ね、透明感のある質感を出している点で、大変おもしろく見ました。彼らの題材は最初は自然が多いのですが、そのうちに工業都市ミラノでの格差社会に目を向け、政治的な主題、また貧しい人々の生活を赤裸々に描きメッセージ性の高いものに変化してゆきます。

二十世紀に入ると、電気の光が太陽の代わりに、機械はますます速く動き、汽車が走り始めスピードのある時代が始まり、未来を称える「未来派」Futurism が生まれます。鮮やかな、そして輝く、デイビジョニストのテクニックは、このスピードや今まで見たこともない電気の明るさを描くには最適で、引き継がれてゆきます。そして、この動きがキュービズムにも影響をあたえたということです。

ふらっと立ち寄ったナショナル・ギャラリーで、大収穫。それに一枚の絵は「田植え」が主題なのですが、何と水田なのでビックリ。さすがイタリア米がおいしいと思ったら日本と同じように植えているのです。

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Angelo Morbelli "In the Rice Field" 1898-1901

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その後、「セント・マーチン・イン・ザ・フィールド」 St Martin In The Field という長い名前の18世紀の教会が、昨年きれいに改修されて特に東窓がモダンだという話を聞いていて、いつも外からしか見てないので中から見てきましたが、まったくシンプルながら、揺れる鉛の線が水のように十字を描いていて、美しかったです。

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この教会はホームレスの援助、中華街近くなので中国語のお祈りも定期的にするなど、活動的な教会として有名です。又、おもしろいのは地下のカフェで、お墓の上にあるのです。日本では考えられないですね。

今日はちょっと湿度が高いので雨が降るかもしれません。

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