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      <title>来て！見て！イギリス-ブルーバッジ・ガイドのロンドン便り</title>
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         <title>ロンドン塔の住人　（ロンドン塔９）　the Residents in Tower</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4800.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/22/IMGP4800.jpg" width="470" height="353" />

ロンドン塔についてのご案内も９回目になりました。今回はそこの住人についてです。（実は、人ばかりではないのですが）上の写真は、お土産やさんで。こんなのを買う人がいるのでしょうか？

エリザベス１世以降は、王族は全く住むことはなくなりましたが、「ロンドン塔ビレッジ」とでも呼んだらよいような感じで、人々が住んでいます。観光客が皆去ってしまいますと、ヨーマン・ウオーダー（ニック・ネームはビーフ・イーター）と呼ばれる、２２年以上軍役を務めた３５人の退役軍人の家族、駐屯している軍人たち、それに教会関係の人々などの村になり、子供が遊んでいたり、１軒あるパブでビールを飲んだり、教会での礼拝など、どこでも見られるような、普通の生活を送っています。だいたい１５０人位住んでいるそうです。

<img alt="IMGP4756.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/22/IMGP4756.jpg" width="400" height="300" />
ヨーマン・ウオーダー。彼らは大きな声で観光客にロンドン塔の説明をしたり、守備という仕事もあります。昔は監獄の監理の仕事もあったが、現在はありません。恐ろしい話が得意で、観光客の怖がってるのを楽しんでます。制服はチューダー朝風で、めでたい日などは、花のついた帽子、もっと金ぴかの服で、とてもかわいくなります。


<img alt="IMGP4777.jpg" src="http://blue-badge.net/IMGP4777.jpg" width="400" height="300" />
でも住んでいるのは、生きている人ばかりではありません。上は、ビーチャム・タワーという塔内部で、収監されていた人達が残した落書きです。書いたのではなく、石灰岩の壁にひっかいたり、彫ったりしたもので、識別できるものでも７０以上あるらしいです。国の宗派がカソリックになったりプロテスタントになったりする度に改宗しないと罪人にされるのですから、大変な時代の１６，７世紀に集中してのものだそうです。

さて、このビーチャム・タワーは２階あって、下階には上階の様子が映っている、テレビ・スクリーンがあります。そこで、何の気なしに見ていますと、観光客の他に、シェークスピア劇から出てきたような衣装の男性が数人、透明人間のような感じでうろついているではありませんか。「おばけだな！」と思って見ていました。きっと、過去にたまたま映ったこのビデオを観光客の為にわざと見せているのだろうと思いました。
その後、学生さんをガイドする為にロンドン塔を訪れた際、ビーチャム・タワーで｢お化けビデオ」を見れますよ・・・と申しますと、何とその後、彼らから「ガイドさん、嘘つき！！全然見えなかった」との事。
そこで、やっと私は映像がビデオではなく、上階の監視カメラで、リアル・タイムの映像であるという事を認識しまして、あのお化け達は私が下階にいる時、実際にいたのだということが分かったのです。
まあ、ここにはお化けも沢山住んでいるようですね。霊感の強い方には、面白いでしょうね、４００年位前の人々の話が聞けて。

<img alt="IMGP4757.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/22/IMGP4757.jpg" width="400" height="300" />
お次はカラスです。
大ガラスの種類だそうで、「レーバン」と言います。もともとロンドン塔には渡りガラスが来ては、ゴミをあさったりしていたようですが、現在のカラスは、西のウエールズから若鳥を連れてきて、「カラス匠」に任命されたヨーマン・ウオーダーが面倒を見ている大切なカラスです。言い伝えでは、「カラスがいなくなれば、ロンドン塔は倒れ、王国も没落する」そうで、必ず６羽いなければいけないそうです。それで、飛んで行ってしまわないように、羽根を切り、又スペアとして２羽入れて常時８羽飼っています。そういえば、エドワード王子の離婚の際にカラスが一羽、塀から落ちて死んだというのを思い出します。

ロンドン塔については、まだまだ話がありますが、今回はこれにて終了させていただきます。是非ロンドンへいらっしゃったら訪ねてみてください。




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         <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 11:02:49 +0000</pubDate>
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         <title>目が眩む宝物館、クラウン・ジュエル（ロンドン塔８）　The Crown Jewels</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_0005.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/17/IMG_0005.jpg" width="420" height="504" />
帝国王冠　The Imperial State Crown

今日は、ロンドン塔で１番人気のある「クラウン・ジュエル」という宝物館をすこしご案内いたします。
しっかりと監視されている、厚い金庫のようなドアを通ると、誰も見たことがない程の宝石で飾られた王冠をはじめとしての、王室の宝物を見ることができるのです。

上の王冠は、女王が毎年国会開会式や、公式行事の時被る、帝国王冠です。２８００個異常のダイヤモンドが嵌め込まれています。特に毛皮のすぐ上のダイヤは「第２のアフリカの星」と言われ、３１７カラットもあります。それよりも、この王冠には歴史的価値が非常に高い宝石が使われているのが特徴です。

<img alt="IMG_0006.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/17/IMG_0006.jpg" width="150" height="414" />
エドワード懺悔王　（１０４２－１０６６在位のサクソン、最後の王）

まず、頂上の十字の中心のサファイアですが、エドワード懺悔王の死体の指に嵌められていたと言われています。この王は憐れみ深く、乞食に自分の指輪を施したそうですが、その乞食は、実は福音書記者ヨハネだったそうです。ステンドグラスは、ウエストミンスター大寺院のものですが、指輪を持っていますね。

そして、下の十字の中心のルビーは、「黒太子（ブラック・プリンス）のルビー」と呼ばれ、元はムーア人のものだったのを、スペイン王が手に入れ、黒太子に贈ったものです。王冠に赤色の宝石をつけるのは幸運をもたらすと言われ、ヘンリー５世はフランスとの戦いの時はヘルメットにつけ、危うく助かったという話も残ります。

それから、滴型の大きな真珠ですが、多分エリザベス一世女王のイヤリングだったのではと言われています。「ハノーバー真珠」と呼びますが、教皇クレメンス七世が、カトリーヌ・メデイチ（フランス王と結婚する）に与えた２５個の真珠のネックレスを、息子の王子のスコットランドから嫁いだ妃メアリーに贈り、後にメアリーは処刑されましたが、その後エリザベス一世が買い求め、それを後の王ジェームスが引き継ぎ、ドイツ王家に嫁いだ娘に贈り、息子が英国王としてロンドンへ来た時から王室の宝物の一部になったというものです。


<img alt="IMG_0004.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/17/IMG_0004.jpg" width="450" height="138" />
十字架付き王しゃく　

この王しゃくは、君主の支配者たる権限を現わしているそうですが、世界最大といわれる５３０カラットのカット・ダイヤモンド「第一のアフリカの星」が付いています。１９０７年、南アフリカで３１０６カラットの原石が発見され当時の王に献呈され、これが「アフリカの星」と呼ばれるダイヤに分割されたのです。


<img alt="IMG.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/17/IMG.jpg" width="400" height="398" />

上の王冠、王しゃく、そして宝珠（地球を地上と見立て、キリスト教の至上性と君主の忠誠を現わす）が３種の神器として、女王が身につけている１９５３年のエリザベス女王。まだ２７歳という若い美しい女王です。戴冠式そのものでは、２．５ｋｇという重たい王冠を被りますが、儀式終了後は、帝国王冠にすぐ変えています。


<img alt="IMG_0002.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/17/IMG_0002.jpg" width="400" height="261" />
神の正義の剣、俗事の正義の剣、仁慈の剣

沢山の展示物がありますが、その中でおもしろいのは「仁慈の剣」で、おもしろい事に、ラテン語で「カタナ the Curtana」と呼ぶそうで、剣の先が折られています。言い伝えでは、９世紀デンマークの王が息子の仇を討とうとすると、神の使いが現れて「情けは仇打ちに勝る」といい、この剣の先は欠けたままだそうですが、その話から３本の剣の内のひとつになったそうです。

人気ナンバー・ワンのクラウン・ジュエルですから、観光シーズンは長蛇の列ができます。楽しい目の保養です。
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         <pubDate>Sun, 17 Jan 2010 09:46:46 +0000</pubDate>
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         <title>煙草とじゃがいもを、もたらした男　（ロンドン塔７） Sir Walter Ralegh</title>
         <description><![CDATA[<img alt="clive-owen-as-sir-walter-raleigh.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/clive-owen-as-sir-walter-raleigh.jpg" width="400" height="480" />
かっこいー！！　クライブ・オーエン演ずるウオルター・ローリーWalter Ralegh (1554-1618)。
映画「ゴールデン・エイジGolden Age」より

エリザベス一世の「お気に入り」は他にもいました。それが、ウオルター・ローリーです。彼は、地方の騎士の息子ですが、オックスフォード大学や法学院で学んでいますが学位を取らず、もっぱら実際に活動する方を好んだようで、北アメリカ探検に付いていったり、アイルランド暴動鎮圧に行ったりしていました。その内に女王のお気に入りのレスター伯爵の取り成しで、宮廷に参加するようになり、女王にお目通りとなった訳です。

彼はたいへんなおしゃれで、ダンデイだったらしいです。有名な話では、泥道を女王が通ろうとしている時、居合わせたローリーは、自分の新調のマントを、ぱっと脱いで、その泥道に掛けて、女王の足が汚れないように通って頂いたというもので、「うわー、きざな男！」という感じですが、誰だって感激しますよね。ローリーは女王の心を掴みます。

<img alt="Sir_Walter_Raleigh.jpg" src="http://blue-badge.net/Sir_Walter_Raleigh.jpg" width="260" height="361" />
どれ位、彼がおしゃれだったかは、このミニチュアのローリーの肖像画をご覧ください。（ビクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵）ロマンチックな表情といい、髪に何かふりかけていたり、さすが君主が女性なので、何だかマッチョな感じは薄くて、やさしい女性的な感じである。時代により、求められるものが違うという事が、感じられる。

ある外国の大使の記録によると、女王が自分のハンカチでローリーの口を拭ってあげたという話も残っています。女王に気に入られて、専売権や議員の地位など与えられ出世しますが、彼はそのお金も女王を喜ばせる為に惜しげもなく費やしました。愛の詩も沢山書いています。

海軍提督の地位も与えられ、アメリカへ再び行き、現在のノース・キャロライナの海岸地方を植民地として、処女女王にちなみ「バージニア」と名ずけて、女王に進呈し、喜んだ女王から騎士の称号を貰いました。アメリカからのおみやげは、今ではイギリスの食事に欠かせない国民食とでもいえる「じゃがいも」と「煙草」を持ち帰りました。１００人の最初の移民を送りましたが、冬が厳しすぎて、結局は失敗していますが、とにかくも後の膨大な植民地の最初だった訳です。


<img alt="IMG_0002.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMG_0002.jpg" width="400" height="300" />
女王は、いつもこのように男性に囲まれていました。この時代の男性のファッションは歴史上、一番おしゃれではないかと思います。１９６０年代にピーコック革命とか言って、男性が飾り立てた時代がありましたが、この時代も同じような気がします。

ローリーは、そのように女王のお気に入りだったのですが、前回取り上げたエセックス伯が登場し、完全に捨て去られた訳ではありませんが、寵愛が薄まってゆくのを感じたのでしょうか、女王の待女のべスと秘密結婚をし、子供をもうけ、女王の怒りをかい、謝るように強制されますが、ローリーは誇り高い男で絶対に謝らないものですから、ロンドン塔に送られましたが短期間で、許されています。エセックス伯が女王のお気に入りになっているのですから、ローリーはもう、そういう地位ではありませんが、女王が崩御するまで忠誠を尽くしました。

ところが、スコットランドからの新しい王は、エリザベス一世を廃位させて自分を即位させようと反逆を起こしたエセックスの一味を擁護し、ローリーは女王を守っていましたので敵視していますし、洗練されて賢いローリーを、嫉妬と共に憎みます。そして貴族たちの権力争いに、王も彼をなきものにしたいとの気持ちもあり、無実の反逆罪にされてロンドン塔へおくられ１３年間も拘留されたのです。

<img alt="IMGP4787.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMGP4787.jpg" width="400" height="300" />
ここがローリーの滞在した部屋で、現在も彼の使っていたようにして見せています。ブラデイ・タワー(ロンドン塔の王子が暗殺された場所でもある）の中です。妻のベスや子供も住み、何とここで子供も生まれています。上階も彼の為に作って、植物研究の為に庭も作り、薬草その他を調べていました。王妃がたまたま訪れ、ローリーの素晴らしい人柄に感心して、皇太子ヘンリーの教師にしたのです。この部屋で「良い王になるための」各方面の授業をしました。王子は父王が大変偏狭であることを知っており、ローリーの所で、伸び伸びと学んだようです。王子の為に大書「世界の歴史」を書き、後出版し、大変評判を得たようです。王子は父王にローリーの釈放を頼んでいましたが、突然病死してしまい望みを絶たれてしまいました。

ジェームス王は、ローリーが人々に人気があることを知っていますので、簡単に処刑できません。そこで、スペインと密かに謀って、ガイアナを奪取する機会を彼に与え、これが成功したら恩赦で釈放、失敗したら死刑という条件でローリーを船出させます。彼はすでに行ったことのある所ですので、受けますが、何十年も経っており地理も変化が多く、兵器も変わっていますし、もともとスペイン側が、この作戦を知っていますので妨害し、連れていった息子も戦死し、年老いた自分も病気になり、不成功に終わり、帰国しました。

<img alt="IMG.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMG.jpg" width="300" height="361" />
老年のローリー

遂に１６１８年１０月２９日、ウェストミンスター寺院そばで処刑されました。沢山の人々が集まる中、彼はいつものようにエレガントな服を身につけ、今まで例のない、４５分間という長い最後の言葉で自分の潔白や思いを述べ、｢斧の影は怖いからね。私が斧を恐れると思うかい？」と目隠しを断り、怖じ気ずく執行人に「何を怖がってるのかね、早く振り下ろしなさい、君、ふりおろしなさい」と言ったそうです。

彼の最後の言葉は、人々に大きな感動を与えました。後の市民革命の主導者となる人々も、その内におり、ローリーの著作と共に彼らに影響を与え、この処刑の３０年後には、王が処刑されるという事態まで起きたのです。又今では非人道的と思える、外部へと広がる植民地拡大の考えも、広く浸透させました。良きも悪しきも彼の思想は、死後やっと実行されたといえるでしょう。



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         <pubDate>Thu, 14 Jan 2010 17:50:36 +0000</pubDate>
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         <title>雪の日々　 Snowy Days</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4844.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMGP4844.jpg" width="470" height="353" />

この冬は異常に寒くて、いつもなら雪が降っても長くても、４日もすれば完全に溶けるのですが、この冬はクリスマス前、それに先週から又雪が降ったり止んだりですが、気温が低いせいか、なかなか解けずに凍って、又昨日はしんしんと雪が降りました。通常なら、曇っている日が多いけれども、メキシコ暖流のおかげで、北緯５１度という北に位置している割には、それ程厳しい寒さではないのです。

上の写真は昨日、ダリッチ・ギャラリーまで歩いて行った途中のダリッチ・パークですが、真っ白で、喜んでるのは子供達でした。大きな雪だるまも作られていました。

<img alt="IMGP4806.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMGP4806.jpg" width="420" height="315" />
クリスマスの後に、近くの森 Dulwich Woodで撮ったもの。教会もまるでクリスマス・カードに良いように真っ白。

<img alt="IMGP4835.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMGP4835.jpg" width="420" height="315" />
昨日、我が家の庭を窓から見たところ。室内の花は今年もきれいに咲いてくれたので嬉しいです。鳥のために、餌の玉を木にぶらさげておきました。

<img alt="IMGP4841.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/14/IMGP4841.jpg" width="420" height="315" />
昨日のダリッチ・ギャラリーの前も、このように雪でした。中に入ると、いつもは背広を着ている人たちが、普段着のセーター姿でうろうろしていて、やっぱり誰もが寒いんだなと実感。「太郎の屋根に雪降り積もる、次郎の屋根に雪降り積もる」と、夜中に目を覚ましてつい口ずさんでしまいましたが、さしずめイギリスですから、「ジョンの屋根にも、イアンの屋根にも雪降り積もる」といったところでしょうか。

今日は３度あり、随分解けました。
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         <pubDate>Thu, 14 Jan 2010 11:26:47 +0000</pubDate>
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         <title>エリザベス一世のお気に入り　（ロンドン塔６）　Beth&apos;s Favorites</title>
         <description><![CDATA[<img alt="Wriothesley_southampton.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/13/Wriothesley_southampton.jpg" width="350" height="414" />

サザンプトン伯爵　Earl of Southanpton  エセックス伯の女王に対する陰謀に加担したとして、死刑を言い渡されたが、恩赦によりロンドン塔で３年間幽閉となる。当時の貴族の派手な服装ではなく、シンプルな黒の服。寒い監獄なので、毛皮のついた厚い上着を着ている。煙突から入ってきて彼のペットとなった猫も一緒。伸ばしたままの髪も、とても自然で好きな肖像画です。

エリザベス一世は、独身で過ごしましたが、全然男性に興味がなかった訳ではないのです。女王になった頃は、幼馴染みのレスター伯を傍にいつも置き、重用し、ふたりは恋人ではないかとの噂もありましたが、彼は既婚ですし、彼の死ぬまで友情は続きましたが、多分、気心も知れているし、愛情もあったと思いますが、結婚はしていません。。外国の王族からの求婚も数々ありましたが、結婚相手の国に乗っ取られたり、戦争の種になってもいけないので拒み、国内の男性と結婚すると、貴族間の対立が生じる危険があるとの心配から、避けましたので、「バージン・クイーン」と呼ばれていました。でも女王も、なみなみと熱い血の流れる女性なのです。心から愛した男性たちがいました。

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エセックス伯、ロバート・デヴェリュー。　Earl of Essex, Robert Devereux

エセックス伯は、女王よりも３０歳以上も若く、明るくハンサムな青年で、女王が６１歳の時に宮廷に顔を出して３年後には、女王をすっかり虜にしてしまいます。高い地位を与えられ、アイルランド鎮圧に失敗しても、許して貰ったりと特別扱いされていました。ところが、この恐れを知らぬ若者は女王を軽く見ており、ある時は女王が朝の身支度をしていて、「かつら」をまだ被っていないのを見て、人々に「女王はただの白髪の老人さ」などと言いふらして怒らせたりしています。でも、女王にとっては、かわいい愛する青年だったのです。我慢していましたが、１６０１年に、女王を廃位させて、スコットランドの王を即位させようとの反乱を公然と起こしたのですから、れっきとした反逆罪です。国民の手前、女王もエセックスを庇うことはできませんでした。

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<img alt="IMGP4770.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/13/IMGP4770.jpg" width="267" height="200" />
ロンドン塔内の処刑場であるタワー・グリーン。今はこのようなガラスの記念碑がある。普通はよっぽど高貴な人しかここで処刑されないのですが、彼は女王の愛人でしたから恥をかかせたくないし、ロンドン市民に人気がありましたから、見物人のいないロンドン塔内で行われました。

死刑が決定されると、エセックス伯は女王から貰った指輪を届けさせ、愛の証にこれをくれた程なのですからと許しを乞ったという話も残っています。女王は心から愛していましたので、大変な悲しみだったと思います。でも君主という立場では心のままに振る舞うことはできないのです。エリザベス一世が今も人々に人気があるのは、この人間的なものと権威というものの間の葛藤が、共感や興味を募らせるからではないかと思います。




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         <pubDate>Wed, 13 Jan 2010 13:18:17 +0000</pubDate>
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         <title>エリザベス一世とロンドン塔　（ロンドン塔５）　ElizabethⅠand Tower</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/12/IMG.jpg" width="430" height="570" />
羽根扇を持つエリザベス一世　作者不明　１５８０～５　１５３３年生まれなので、５０代の女王。
この時代はプロテスタントです。偶像崇拝しませんので、女王の肖像画は、キリスト像やマリア様の代わりで、イコンのように感情など消し去った表情で描かれるのが一般的でしたが、この絵は、より自然に描いてあり、威厳のある王者の貫録たっぷりの豪華な君主で、圧倒されます。


日本では、イギリス王朝の君主としては、現在のエリザベス女王（二世）と共に、数々の映画も作られ、最もよく知られている女王だと思います。１５５９年から１６０３年と長い在位で、英国が大英帝国へと進展してゆく基盤を作った偉大な女王です。

ヘンリー八世が亡くなった後、王子がエドワード六世として短期間王位につきますが、その後英国初めての女王が誕生します。長女のメアリーです。この即位のとき、姉の王位簒奪の陰謀をしたとして、エリザベスは捕えられて、ロンドン塔に拘留されています。その時のお話をいたしましょう。

メアリーは母親から受け継いだカソリックでしたが、エリザベスはプロテスタントのアイドルと期待されていましたので、メアリー即位を阻止する陰謀が起きていたのに、自分の知らない所で陰謀者の当事者のようになっていて、疑われたようです。


<img alt="IMGP4741.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/12/IMGP4741.jpg" width="400" height="300" />
「反逆者の門」Traitors' Gate 　ここから入る者は二度と生きては出られないと言われている水門（現在は水を抜いてある）。ウエイク・フィールド・タワーの窓から撮る。観光客が恐ろしい話を聞いているところ。

エリザベス王女は３月の雨の日、船で「反逆者の門」から、いやいやロンドン塔入りしました。道すがら冷たい石の上に座り込んでしまいました。「雨に濡れて冷えますから、中にお入りになったほうがよろしいのでは・・・」と衛兵がすすめますと、「ここよりひどい所へ行くのよりも、この方がましです」と答えたそうです。

エリザベス王女は当時２０歳でした。閉じ込められたのは、トーマス・モアと同じベル・タワーですが、王女の房は上階で、３人の召使と共におりました。出される食べ物は毒を心配して手をつけず、特別に作らせました。又、狭く健康に良くないので、隣のビーチャム・タワーまでの間の散歩を許可させたりと、「注文の多い囚人」だったようです。現在、この壁つたいの道は「エリザベスの散歩道」と名ずけられています。何度も尋問を受け、拷問を受けた待女もいましたが、メアリーの王位簒奪の証拠が出ませんでした。

２ヶ月後の５月５日、新任の責任者が１００人もの青い制服を着た兵隊を連れ、ロンドン塔にやってきました。エリザベス王女は、何事かと驚きました。もしや自分の処刑かもしれない・・・と思ったようです。でも、この大層な兵隊達は、晴れて潔白となったエリザベスをウッドストック宮殿へと護送するためだったのです。

<img alt="458px-El_bieta_I_lat_13.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/13/458px-El_bieta_I_lat_13.jpg" width="250" height="328" />
１３歳のエリザベス王女。おでこや顎など、後の肖像画にも面影が残る。


この監獄生活の５年後に姉のメアリーが病死し、エリザベス一世として２５歳で即位し、イギリスを強力な国に押し上げました。
母のアン・ブーリンはロンドン塔で処刑されていますし、自分も囚われていた、このロンドン塔は、その後足を踏み入れていません。エリザベス１世にとっては、あまりにも不吉な所だったと思われます。しかし、この厳しい体験から、人々の利益の為に利用されるかもしれない地位であること、自分であって自分の身ではない王位の意味を冷静に理解して、国の発展に努めました。

当時最強のスペインの無敵艦隊を撃破し、大国スペインの没落とイングランドの台頭と転換しアメリカのバージニアを植民地として後の海外遠征の端緒を作り、長年イングランドの北にあって、脅威でもあり融合したかったスコットランドも、エリザベス二世が独身で一生をおくり世継ぎがいないので、彼女の叔母がスコットランド王の妃となっていたので、曾孫がエリザベスの死後、イングランドとスコットランド2国の王となり、その100年後には、スコットランドは完全に連合王国に含まれてしまいます。エリザベス1世の死後も彼女の力が及んでいたと言えるでしょう。]]></description>
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         <pubDate>Tue, 12 Jan 2010 13:58:55 +0000</pubDate>
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         <title>トーマス・モア　（ロンドン塔４）　Sir Thomas More</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_0003.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/11/IMG_0003.jpg" width="470" height="434" />
トーマス・モア　　1477~1535   ホルバイン画

トーマス・モアも、ヘンリー八世によって、ロンドン塔に囚われていた人々のひとりです。
彼は、法律家の息子として生まれ、１２歳の時に英国でのキリスト教の最高権威者であり、王の次に位が高いといわれる、モートン大司教の小姓となりましたが、大変賢くて、ユーモアに富み快活で、皆に愛され、大司教も客人に「この小僧はすごい人間になるよ」と言ったそうで、まだ１４歳のモアをオックスフォード大学へ行かせました。ここでギリシャ語、ラテン語、フランス語に音楽・・・とすっかり教養をつけ、ロンドンへ戻り法律を学び、エラスムスと出会い、ルネッサンスの新しい息吹を身につけます。でも彼の一番の興味は「神」でした。チャーター・ハウス修道院に住み、修道僧にはなりませんでしたが、ここで法律の研究をしながら、彼らと同じ清貧の生活を４年間しました。素肌に粗い下着をつけ自分を戒めるという習慣は終生続きました。

その後、法律家として大成功し結婚します。実は結婚相手を紹介された時、彼女の妹の方を気に入ったそうですが、姉がそれを知ったら、きっと悲しむだろう、恥に感じるだろうと、姉と結婚したそうです。
しかしこの奥さんは４人の子供を残して亡くなり、その後年上のアリスと結婚しました。彼の家庭生活は、快活なモア夫婦のもと、とても明るく楽しいものだったということです。

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友人で、モアの家に１年間滞在していたホルバインが描いた、モア・ファミリー。
チェルシーに大きな地所を持ち、彼の書いた「ユートピア」のように、畑を作り、エラスムスによると、父親、娘や息子と配偶者たち、１１人もの孫に囲まれ、モアは贅沢や批判ではなく、優しさと穏やかさで、大家族をまとめていたそうです。読書と学ぶことを勧めて、お祈りは長かったらしいです。とにかくジョークが多くて、娘が言うには、モア冗談を集めて１冊の本ができるだろうとのことです。

この文化人を、１４歳年下のヘンリー八世は、とても気に入っていて、モアの家によく遊びに行ったそうです。ヘンリーも教養のある王でしたので、きっと尊敬していたと思います。息子が書いていますが、ある晩は突然食事前にやってきて、暗くなるまで庭を散歩し、見てみると王は、モアの首に腕をかけていたそうです。１５０９年のヘンリーの戴冠式には頌詩も作っていますし、王の議会の議員、下院の議長、騎士の叙勲など重要な地位も与えられましたが、「ユートピア」をはじめとして数々の執筆を続けました。「ユートピア」は、まるで未来の共産主義を予見しているかのような理想社会を描いています。

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ベル・タワー。ロンドン塔はまったく信じられないことに、囚人は生活費を払わなければならなかった。モアは１日１５シリングで、妻のアリスは服を売ったりして調達したそう。当時の農業労働者の収入が週１シリングだったそうなので、非常に高かった。


王との友情は２０年以上長く続き、王の離婚の許可を求めて失敗した大司教兼大法官であったウルジーの失脚後は、１５２９年大法官Chancellerの地位まで与えられました。大法官は最高裁判官という地位ですが、公正な裁判をし、たとえ婿の裁判時でも、容赦はしなかったそうです。

王のカソリック弾圧は増し、１５３２年には教会関係者に王の至上権の承認を迫りました。モアは、カソリックのローマ法王が世界中の信者をまとめるのには必要であるという考えでした。勿論、免罪符や賄賂などの堕落した部分もあるのは知っていましたが、王が宗教における首長であるという考えには否定的でした。そこで、彼は大法官の職を辞任しましたが、収入の絶えた生活も、お得意のジョークで「皆で袋を持って物乞いしよう！楽しく、仲良くやろうな」と、家族を励ましていたそうです。彼はお金を慈善の為に寄付してしまってるので、蓄えがなかったのです。

１５３４年、モアは裁判に呼ばれ、王の至上権を認めませんでしたが、「ローマ法王を否定することはカソリックの団結を弱めてしまうから」という理由は、わざと言いませんでした。なぜなら、それにより、国王の権力が弱まり、反乱が起こったり、市民革命がおこるのを危惧したからです。

ロンドン塔の「ベル・タワー」へおくられたトーマス・モアは、ひとりの忠実な召使と共に暗く湿気の多く寒い監房で、許可された書物、書き物の道具などで、辛い生活もユーモアを忘れず、また修道院でも生活の経験から、最低限の生活も明るく日々を送っていたそうです。祈りは、国王と王国の繁栄を願い、誰も傷つけたくないという気持ちに溢れていました。妻のアリスは、彼に考えを変えるようと頼みますが、「愛するアリス、自宅とこの監房ではどっちが天国に近いか言ってごらん？」と、信念は変えせんでした。楽しみだった読書や執筆も禁止されてゆきますが、彼の部屋の上階には、同じく王の至上権を認めなくて収監されていた、ロチェスター司教のジョン・フィッシャーがおり、こっそり連絡を取り励ましあっていました。

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ジョン・フィッシャー司教。ホルバイン画。生きている聖人のような、このスケッチはすばらしいです。彼はトーマス・モアより先に処刑されました。

１年以上もロンドン塔で過ごした後、最後の裁判が行われ、反逆罪とみなされ、１５３５年７月６日に、タワー・ヒルで断頭の刑に処せられました。
いつも着ていた粗毛の下着は人々に見られたくないので、娘に形見としてあげ、炭で残された家族の安全と健康を祈った遺書を残し、処刑の前に周囲に集まっている見物人に、自分に対して祈ってくれるように、又この処刑を目撃したことを思い出してくれるようにと頼み、そして「王の忠実な僕として、しかしさらに神の僕として死にます」と告げたと言われます。
彼は、死の瞬間まで快活であり、死刑執行人に、「精神を集中して、恐れずにやってくれ。私の首は短いから、それるとまずいからね」と注文したそうです。

<img alt="IMG_0004.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/11/IMG_0004.jpg" width="285" height="200" />
この斧と台がロンドン塔に陳列されている。斧はチューダー時代のもので、台は１回ずつ新しく作るそうで、これは１７４７年の最後の処刑に使用されたもの。
モアも同じような道具で処刑されました。


彼の首なしの遺骸はロンドン塔内のセント・ピーター教会に埋葬され、首はロンドン・ブリッジでさらし首にされた後、アリスは貰い受けカンタベリーのセント・ダンスタン教会に埋葬されています。彼の死後４００年経った１９３５年には、フィッシャーと共に聖人に列せられました。

<img alt="IMGP4720.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/11/IMGP4720.jpg" width="400" height="300" />
ロンドン塔の北にある処刑場、タワー・ヒルTower Hillの記念板に見える、モアの名前。フィッシャーの名も見える。ここで１２５人処刑されています。

トーマス・モアは、興味の尽きない、すばらしい人物だと思います。私の好きなイギリス人のひとりです。
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         <pubDate>Mon, 11 Jan 2010 10:21:35 +0000</pubDate>
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         <title>ヘンリー八世とロンドン塔 （ロンドン塔3）　Henry Ⅷ　and Tower</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4782.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/10/IMGP4782.jpg" width="470" height="353" />
芝生の中の円盤状の記念碑がある所で７人が打ち首となっている処刑場「タワー・グリーン」Tower Greenその内の４人の処刑はヘンリー八世による。彼らはこの芝生の後ろの教会に埋葬されている。

<img alt="IMG.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/10/IMG.jpg" width="270" height="468" />
ヘンリー八世　（在位1509~1547）　ハンス・ホルバイン画。この足を広げて立つポーズはあまりにも有名。

へンリー八世は、「威風堂々」という語を体現するような絶対王政の見本のような王で、イギリス王朝の歴史上最も良く知られた王でしょう。彼は１８歳の時、兄が死亡したので王位に就きます。妃は兄の未亡人で８歳年上のキャサリン妃です。生まれた子供達は女の子ひとりを除いて皆死んでしまい、だんだんと年老いてくる妃に、男子出産を望めなく、心惹かれるフランス仕込みの魅力的なアン・ブーリンとの結婚を望み、離婚許可を、カソリックの最高位であるローマ教皇からもらおうとしましたが拒否されたので、許しなく離婚し、王権の下に教会が位置する「英国教会」を作り、カソリックから破門されました。
その後、修道院を廃止して土地や財産を没収したり、改宗しない人々を処刑して、この時に得た莫大な財源で王は大金持ちになり、強力な力を持ちました。

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さて、アン・ブーリンとの結婚のために宗教改革までしたのに、生まれてきたのは女の子でした。彼は又再婚を考えます。最初の妃との離婚の理由は「兄嫁と結婚していたのは近親結婚であり元々違法」であったが、今度はこれといった理由もないので、アンの実の兄との姦通罪をでっちあげ、ロンドン塔で処刑されました。兄はロンドン塔外のタワー・ヒルで処刑されています。

<img alt="IMGP4764.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/10/IMGP4764.jpg" width="400" height="300" />
クイーンズ・ハウスと呼ばれる木組みの温かみのある建物。これは王がアン・ブーリンの為に建ててあげた愛情あるものですが、アンはここに住んだのは処刑を待つ間でした。この前の広場では、今も彼女の首なしの幽霊が両手で生首を持ちながら彷徨っているということです。今、この建物には塔の最高責任者の住居として使われていますが、ここに最後に収監されたのは、１９４１年でナチスの副総督ルドルフ・ヘスで４日間拘禁されています。


彼女は、処刑される前に「心やさしい王と王国に栄光あれ」と祈って、ふつうは斧で処刑されるのを、刀で・・・と王に願いますと、この願いを王は聞いてあげて、フランスから名人を呼んで処刑したそうです。ですから下の版画は想像図です。タワー・グリーンでの処刑は、部外者以外は見れませんので、名誉ある処刑だったそうです。普通は見せしめとして、衆目の下で行われたのです。

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アン・ブーリンの処刑の記念版。

ヘンリー八世は、アンの処刑１０日後に、ジェーン・シーモアと結婚しました。彼女は王子を出産しましたが、産後の肥立ち悪く死んでしまいます。このジェーンは愛していたらしく、墓も王と彼女は仲良く一緒です。その次のドイツからの妃（クリーブ家のアン）は肖像画で選んだので気に入らず、「王の妹」という地位を与えて別れて、次に選んだのが、若くて奔放なキャサリン・ハワードです。でも彼女は、すぐに３０歳も年の違う王を疎ましく思い、愛人をつくったのが発覚して、タワー・グリーンで処刑されました。

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キャサリン・ハワード Catherine Howard 
彼女はハンプトン・コート宮殿からロンドンへの護送の途中、チャペルで祈祷中の王に助命を頼もうと駆け込もうとしましたが、廊下で捕まり泣き叫びながらロンドン塔へ連れてゆかれました。まだ二十歳をちょっと過ぎた位の若さだったでしょう。彼女が捕まったハンプトン・コート宮殿の廊下では今も時々叫び声が聞こえるそうで、「幽霊のいる廊下」と呼ばれています。

王は落馬後、６番目の妃キャサリン・パーの介護の中亡くなりました。彼の死後３番目の妃ジェーン・シーモアの生んだ王子エドワードが１０歳で王位につきましたが、結核で６年後に死んでしまいました。この王位のために、たくさんの人々が命を落としているのに、結果的にはその後、娘２人が女王となります。

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         <pubDate>Sun, 10 Jan 2010 15:28:25 +0000</pubDate>
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         <title>ロンドン塔 2/ホワイト・タワー　 Tower of London/White Tower</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_0001.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/06/IMG_0001.jpg" width="470" height="282" />
「ロンドン塔の王子たち」ポール・デラロシュ、１８３１年。（ウオレス・コレクション）

「ロンドン塔」は、城全体の総称で、中心となるのは、「ホワイト・タワー」と呼ばれる、高さ２７ｍ幅３０ｍ位で、壁の一番厚い部分で４．６ｍという頑丈な、１２世紀初頭に完成した本丸に、１３世紀を通して、周囲を壁で２重に囲み、その随所に見張り、住居などの塔や建物をつけたものである。

何といっても当時は城というと砦の重要性が高く、入口はかなり高い位置にあり、木製の階段を上って入城するのだが、階段は敵に攻められたら外して、籠城できるようになっていた。現在、この建物は展示室として使用しているが、最初は王、兵隊の住居と武具庫、監獄などに使われたが、１９世紀になるまでは、殆ど武器、弾薬庫として使われていたらしい。

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１７世紀の地図。中心にある四角い建物がホワイト・タワー。二重の壁には建物がびっしり付いている。周囲の柵の中が堀で、下部はテームズ川なので、防御は固い。

このホワイト・タワーの有名な話「ロンドン塔の王子たち」

今から３００年も前（１６７４年）ですが、階段の下から２人の子供の遺骸が発見されました。
１４８３年に父王が死んだ後、１２歳で王となったエドワードと弟は、叔父のグロスター公リチャードの庇護の下、戴冠式の準備をしつつ、ロンドン塔に滞在していました。ところが、戴冠式に現れたのは、この叔父で、リチャード三世として即位したのです。二人の王子は行方不明となっていました。
人々は、リチャードが殺させたに違いない・・・と噂していました。シェークスピアも「リチャード三世」の中で、薔薇戦争中の残忍な権力闘争の犠牲として、この王子たちを描いています。事件の２００年後に発見された遺骨は、現在ウエストミンスター大寺院の王室の墓に納められているが、かわいそうな話です。

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骨が見つけられた階段には、このような記念版が貼ってあり、想像図も掛っているのですが、殺されたのは「ブラデイ・タワー（血塗られた塔）」で、想像によると枕で窒息死させられたのではという事ですが、真実は謎のまま。

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「ホワイト・タワー」では、昨年がヘンリー八世の即位５００年記念で、彼の数ある甲冑や武器の特別展をしていて、タイトルは"Dressed to Kill"　殺すための衣装とでも言えばよいでしょうか。彼によって、このロンドン塔で命を落とした人は数多いのです。
お正月のタワーは観光客で賑わい、ホワイト・タワーも明るく見えますね。

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         <pubDate>Tue, 05 Jan 2010 11:59:42 +0000</pubDate>
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         <title>ロンドン塔　　　Tower of London  (ロンドン塔　１）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4398.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/02/IMGP4398.jpg" width="470" height="353" />
巡洋艦HMベルファースト号の甲板より見たロンドン塔（昨年１１月撮影）

「ロンドン塔」というと、イメージとしては、何やら恐ろしい所として世界中で知られています．勿論そういう一部分もありますが、実は英国の歴史のぎっしりと詰まった、大変おもしろい所なので、少しずつご紹介いたします。

まず建てられたのは、１０６６年にフランスのノルマンデイー公ウイリアムが英国サクソン族の王ハロルドを破り、自分の力を見せる為、防御のためと建てたのが、この写真のホワイト・タワーです。実際に白くはないですが、建物のボーダーを故郷からはるばる運んできた、白いカーン石で飾り、昔は石灰を塗ってあったので、そう呼ばれています。

<img alt="IMG.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/03/IMG.jpg" width="470" height="433" />
バイユー・タペストリー　部分　（１０６６年から１２年かけてマチルダ妃が作ったと伝えられる。５０ｃｍ巾、長さ７０ｍもの麻地に毛糸の刺繍の大絵巻である。フランス、バイユー市Bayeuxにて見ることができます。）

このウイリアム王のイングランド征服の話は、「バイユーのタピストリー」という刺繍の絵巻物で有名です。彼はフランスではギョームと呼ばれています。

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さてその後、敷地を拡張し、建物も増やし、城壁で囲み、テームズ川と三方を堀で固め、難攻不落の王宮と要塞を兼ねた城になってゆきます。そればかりではなく、中世には、ここは宝物を管理する宝物殿、兵器、武器倉庫、公式文書庫に銀貨金貨の造幣局、驚くことには動物園もあり、象などもいたそうです。１６００年代には世界最初の鎧かぶとの博物館もでき、そして最も有名なのが囚人を収容する牢獄もあったということでしょう。

しかし、動物園、博物館があるということは観光客が来る・・・ということですから、昔から観光地でもあったようです。動物園はリージェント・パークに１９世紀移動、博物館は１０年位前にリーズ市に移転しましたが、現在も人気のある観光地で、お目当ては宝物殿であふれるばかりの宝石を見てため息をつく事でしょう。世界最大のカット・ダイヤモンド（５３０カラット）も見れます。

ロンドン塔には常にカラスがいますが、言い伝えによると「カラスがいなくなればロンドン塔は倒れ、王国も没落する」そうなので、羽を切って最低６羽飼っています。

今は王族が住むという事はありませんが、現在も英国王室の城のひとつで、衛兵も滞在していますし、ヨーマン・ウオーダーと呼ばれる退役軍人家族も住んでおり、約１５０人位の村のように共同体を作っています。洗濯物がひらめいていたりする時もあり、ほほえましいです。

ということで、今日はロンドン塔のおおまかなご案内でした。



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         <pubDate>Sat, 02 Jan 2010 17:51:29 +0000</pubDate>
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         <title>明けましておめでとうございます  （冬のばら）   a Happy New Year　(Winter Roses)</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4711.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/01/IMGP4711.jpg" width="470" height="353" />

もう2010年になりました。
今年が平和でよい年でありますようにと祈っています。

昨年暮れは、ロンドンもとても寒く、雪が降ってそれが溶けて道はスリップで、バスも運行停止になり、いつもは歩いている人などあまりいない暗い道路を、仕事帰りの人々が、、まるでオックスフォード・ストリートの買い物客の如くぞろぞろ歩いてる中、私もいつもの二倍以上の時間をかけて帰宅した翌朝、窓から庭を見ると、ピンクの薔薇がしっかり上を向いて、灰色の空の下で咲いているではありませんか。冬の寂しげな庭で、頑張っている花を見て、嬉しい気持ちになったものです。

上の写真はその薔薇です。寒いので満開にならないようですが、この色を見ると心が浮き立ちます。
元旦の今日は良い天気で、青空が気持ち良いです。

<img alt="IMGP4703.jpg" src="http://blue-badge.net/2010/01/01/IMGP4703.jpg" width="400" height="300" />

我が家の洗面所のペンキ塗りかえのため、古い壁紙を剥がしていましたら、更に古い壁紙が出てきました。それは、こんな薔薇の柄です。塗りつぶしてしまう前にと、写真に撮っておきました。ペンキを塗っていた私だけに見せてくれた花です。古い家ですから、きっとロマンチックな女性が選んだのでしょう。何だか、そんな会ったこともない先住者と興味を分かち合っているような、不思議な瞬間でした。

冬の薔薇と共に新年のご挨拶をさせていただきます。

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         <pubDate>Fri, 01 Jan 2010 16:37:36 +0000</pubDate>
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         <title>ルーシー・ボストンの世界　　The World of Lucy Boston</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_0004.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/09/09/IMG_0004.jpg" width="470" height="315" />
ルーシー・ボストンがキルトを始めるきっかけとなった、マナー・ハウスの居間にかかる、古いキルトのカーテン


今日は仕事がないし、良いお天気なので夫と共にケンブリッジの近くのヘミングフォード・グレイHemingford Gray　という、小さな町へ行ってきました。ここには、日本でも翻訳されている「グリーンノウ物語」の作家、ルーシー・ボストンの住んでいたマナー・ハウスがあるのです。
彼女は１８９２年生まれで１９９０年に亡くなっていますが、児童作家として有名なばかりではなく、実はパッチワーク・キルト作家としても有名です。それに庭のデザインから手入れも名人だったのですから、すごい！のです。

キルトを始めたのは、４７歳で離婚後、マナー・ハウスを買い引っ越してきたのですが、戦時中でもあり、物資が不足していました。カーテンにと、古いキルトを買い、それを修繕している内に段々と興味が湧き、自分でも作り始めたそうです。最初の作品は、ありあわせの布で、椅子張り用の布や布巾、枕やマットレス向けの縞の木綿などで出来ていて、素朴ながら、彼女の苦労とパッションが伝わってきました。
平和になると、ロンドンに布を探しに行くのが、楽しみになり、数々のキルトを家族や友人の為に、よくこれだけ細かく縫えるものだ・・・と驚くばかりの針目と、美しい色や柄の組み合わせで作っています。

<img alt="IMG_0003.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/09/09/IMG_0003.jpg" width="470" height="316" />

これは、ルーシーの作った森をテーマにしたキルト。布の模様を利用して木のように、アップリケで鳥を入れたりと、ファンタジー作家の面目躍如。約２０点もの作品を見せてもらったのですが、どれも使うのを目的とされていたので、シミが付いていたりして、生活感があるのが、とても良かったです。


さて、家は「マナー・ハウス」と呼ばれていますが、素晴らしい大邸宅というわけではなく、むしろ少し大きめの農家屋のように見えます。歴史は古く、１１３０年ということで、古い壁の厚さは８０ｃｍ位あります。戦時中に女ひとりで引っ越してきたよそ者に対して村人は奇異の眼差しで、スパイではないか、魔女ではないか・・・など、噂をしていたようです。

児童文学で最初に出版をしたのは６２歳と遅かったのですが、夏は庭仕事、冬はキルトの制作と、それだけでも忙しいのに、イギリスの子供なら皆読んだことがあるという「グリーンノー」のシリーズのお話を何冊もいつ書いたのでしょう。

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上の写真は、花の向こうがマナー・ハウス。紫の濃淡だが、テクスチャーの違う花々を植えてあり、シックで魅力的な前庭。それに比べて、下の写真の裏庭は、黄色にオレンジを組み合わせて、少し田舎っぽい楽しい雰囲気。庭はキルトの色の組み合わせの反映か、キルトは自然からの触発か・・・。ウエデイング・ドレスの為の、刺繍を施した布を組み合わせたキルトや、コーデュロイを巧みに組み合わせてあったのがあったりと、質感も心憎いキルトが多数ありました。息子さんは画家ですし、文学的ばかりではなく、視覚的芸術な血も、なみなみと流れている人だったのだと思います。

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現在ここに住んで、管理していらっしゃるのは、今は亡き息子のピーターさんの奥さんのダイアナさん。お姑さんを尊敬して、キルトの保存、庭も彼女の意志をついでの管理、そして訪問者にも親切に、この大切な「ルーシー・ボストンの世界」を、頑張って守っています。彼女の強い意志と実行力がなければ、今このように、ルーシー・ボストンの全体像を見ることは不可能だったでしょう。

ルーシーは、戦時中に、近くの空軍基地の軍人さんを週２回招待して、自分のコレクションのレコードをかけて、コンサートを催したそうです。ダイアナさんは、その古い蓄音器をぐるぐる手でまわして、ルーシーのレコードをのっけて、竹の針でかかる、何ともいえない、柔らかい音を奏でてくれました。

おみやげに、この庭園にて栽培した鉢植えの苗を少々買い、ご機嫌で帰宅しました。すばらしい女性達、ルーシー・ボストンとダイアナ・ボストンを知ることができたのは、とても幸せな体験でした。
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         <pubDate>Wed, 09 Sep 2009 18:05:41 +0000</pubDate>
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         <title>イギリスのお墓　 Graves</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP3986.JPG" src="http://blue-badge.net/2009/09/04/IMGP3986.JPG" width="470" height="353" />
バイブリーのセント・マリーズ教会にて　　at St.Mary's parish church of Bibury

このお墓はコッツウオルドの小さな村、バイブリーの教区教会であるセント・マリーズの内部、信者の座るベンチの並ぶ通路にあったもので、この墓銘碑の上を人々が何百年もの間歩い為、ぴかぴかに磨いたように見えます。さて、書いてあるのを読みますと・・・

「この下に眠る死体は、１７０７年は１２月１４日、５５歳にて、ウインソンで、現世より旅だったジョン・マシュー氏なり」

というところでしょうか。それにしても、上方に描かれた骸骨は、３００年後の今では、ユーモラスに見えるが、埋葬したばかりの時は、ちょっと薄気味悪かったのではないでしょうか。

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同じ教会にて

こちらは、年齢が１３歳のマリー・ベニングの墓銘碑で、やはり通路にある。亡くなったのは１７１７年で、ステイブンとマリーの娘と書いてあって、砂時計も描かれ、骸骨の図はジョンさんのよりも、現実的だ。

なぜ、骸骨を？　なぜ、死体の上を歩くような通路に埋葬するの？・・・と考えてしまうが、はっきりした答えをまだ得ていません。キリスト教では、彼岸は天国か地獄なので、現世を正しく生きていれば、死後は永遠の天国が約束されており、肉体は単なる魂の抜けた入れ物でしか過ぎないので、骸骨を描くのは、死んでしまった彼らは、姿は骨しかないが、魂は天国で生きているのであるから、そして自分も天国へ行って再会できるのだから、悲しまないようにと、いうことなのだろうか。


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グラスミアのセント・オズワルド教会墓地　　St Oswald's parish church grave yard

この写真は、湖水地方の、グラスミアの教区教会墓地。どこの墓地へ行っても必ず植えられているのが、いちいの木。英語ではユー・ツリー Yew tree と呼びます。この木は、下から常に新しい芽が出てくるので、霊魂不滅の象徴として、キリスト教発生以前から、ヨーロッパでは聖なる木として崇められていたそうです。日本でも、「一位」というだけあって最高の木として、神道では榊とされます。

この二本のいちいの木も、下から若々しい枝葉が、古木を守るように出てきています。この飾り気のない木は、北海道では「オンコの木」と呼び、父の愛した木でもあり、見ると彼を思い出します。

さて、この教会は、イギリスで一番有名な詩人のワーズワースが埋葬されているのですが、墓地横には、ビスケットだが「ジンジャー・ブレッド」と呼ばれている名物のお店があって、墓参りのおみやげに人気があります。店内の様子、売り手のおじさん、なかなか雰囲気がありますので、ご覧ください。

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<img alt="IMGP4364.JPG" src="http://blue-badge.net/2009/09/04/IMGP4364.JPG" width="400" height="300" />

ジンジャー・ブレッド屋の外と中。明るい感じで、墓場のそばであるのを忘れてしまう。先週もつい買ってしまいましたが、おいしいですよ。




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         <pubDate>Fri, 04 Sep 2009 12:14:54 +0000</pubDate>
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         <title>夏の小旅行　Very Short Summer Trip </title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4301.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/04/IMGP4301.jpg" width="470" height="353" />
オックス・フォード大学の植物園そばを流れるチャーウエル川。「パント」といって、長い棒を川底につけて舟をすすめます。


この夏は庭を訪れる機会が多く、沢山のガーデンを見てから我が裏庭を見ると、あまりにも可哀そうにほったらかされているので、一念発起して、時間さえあれば庭仕事をしていたので、まったくサマー・ホリデーなんていう言葉が頭に浮かばなかったのですが、夫が用事でオックス・フォードへ行くので、ちょっと出掛けようよ・・・というので、剪定ばさみと置いて２泊３日の小旅行に、車のガソリンを満タンにして出発！



<img alt="IMGP4293.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/07/IMGP4293.jpg" width="448" height="336" />
オックスフォード大学植物園　The University of Oxford Botanic Garden

さて、先ずはオックスフォード。ついつい今は庭に夢中なので、オックスフォード大学植物園へ行ってきました。
ここは、英国最古の教育目的の植物園で、１６２１年開園。薬と化学の為に作ったので、美的というより実用的。同じ種類がまとめて植えてあるので、生きている図鑑のようで、「うわ、ユーフォビアってこんなに種類あるの？」なんていう驚きに溢れていて、シーズン毎に違う植物が開花するのですから、再度訪れたいなと思いました。植物園脇にはチャーウェル川が流れていて、ボートに乗っている人々がのんびりと川遊びを楽しんでいました。

<img alt="IMGP4287.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/07/IMGP4287.jpg" width="448" height="336" />

これは植えてみたいな・・・なんて思いながら歩いていると、どこからかズンチャッチャ、ズンチャッチャと懐かしいブラス・バンドの音色が聞こえてきました。この日は土曜日で地元のアマチュア音楽家が植物園を演奏しながら歩きまわっていたのです。昔のサーカス、あるいは東ヨーロッパのバンドの物悲しい音色で、すっかり魅了されました。彼らの赤と黒の服装もすてきでしたが、バンドの行進にぞろぞろついて歩く人々はまるでハメルンの笛吹きのお話のようでした。この写真は、一休みのところ。


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スノーヒルのラベンダー園　Snowshill Lavender

翌日は更に西へ行きコッツウヲルド地方に入り、スノーヒルという所へ行きました。ここにはマナー・ハウスがあり、目的はそこなのですが、標識に「ラベンダー園」とあり、ついつい行ってみますと、車の窓から良い香りが入ってきて、もう沢山の種類のラベンダーが満開でした。すてきな紫のグラデーションに香りでくらくらしました。

<img alt="IMGP4312.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/06/IMGP4312.jpg" width="470" height="353" />
スノーヒル・マナーの庭

スノーヒルはちいさなマナー・ハウスですが、丘の上にあり庭も段々に作ってあり、ずーっとコッツウオルド丘陵が見渡せて、こじんまりしていて大好きな所。庭はあまりきちんとしてなくて、「カッテージ・ガーデン」という農家風のスタイル。ちょっと野趣があり、自由な雰囲気があり、チャーミングです。現在、ナショナル・トラストの所有ですが、譲渡する前の持ち主のチャールズ・ウエイド氏の古今東西、実用的、非実用的、なんでも美しいもの、興味深いものはすべて収集・・・という、奇妙で楽しいコレクションは次回の楽しみに取っておきましたが、おもしろそうですね。


<img alt="IMGP4320.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/06/IMGP4320.jpg" width="470" height="353" />
「ジュリーズ」　"Juri's" at Winchcomb 

その後はウインチコムという小さな町へ行きましたが、目的はクリーム・テイ。ここには昨年の英国一の紅茶に選ばれた「ジュリーズ」というテイ・ルームがあるのです。ジュリさんは実は日本人でご両親と一緒にこのお店を経営していらっしゃいますが、さすがに一等賞をとった、お茶もスコーンも最高の味でした。お茶をしている時は感激で写真をとるのを忘れてしまいました。


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Samuel van Hoogstraten  (National Trust, Dyrham Park)　部分

興味深く思った街の写真を少しご覧ください。これはジュリーズと同じ通りから見た眺め。オランダ絵画で、ドアや入口を重ねることによって二次元の絵画を立体的に見せるのを、この道路からは、まさにその反対で、実は三次元なのに絵画のように平面的に見えたのです。


<img alt="IMGP4323.jpg" src="http://blue-badge.net/2009/08/07/IMGP4323.jpg" width="448" height="336" />

ここも、すぐ近くにある床屋のウインドー。この人形は剃刀と櫛を持っている床屋で、多分実際にこんな顔の人が働いているのだろう。それにしても、エプロンの赤い血は面白く、一九世紀にロンドンであったという、次々に客を剃刀で殺して、地下でパイにしてしまう「スイニー・トッド」を彷彿とさせる。

この日は天気もよく、楽しい日曜日でした。翌日はエバシャムEvashamという街へ行き、エーボン川の傍を散歩して、のんびりとロンドンへ戻ったのでした。田舎は本当にいいなあと思いながら・・・。









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         <pubDate>Tue, 04 Aug 2009 09:15:18 +0000</pubDate>
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         <title>六月のロンドンは花盛り　　London in the Bloom</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMGP4194.JPG" src="http://blue-badge.net/2009/06/23/IMGP4194.JPG" width="470" height="353" />
Queen Mary Rose Garden

リージェント・パークの中にある、４万本もの薔薇が植えられているクイーン・マリー・ローズ・ガーデン。花の香りの中、天気の良い日で、日光浴を兼ねての読書中の女性。道行く人の目を更に楽しませている。

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Queen Mary Rose Garden　初夏の目のごちそう！


六月は、イギリスの一番華やかな時で、バッキンガム宮殿では女王の誕生記念しての「トローピング・ザ・カラー」があり、王室の方々を乗せた馬車にすべての騎兵と衛兵による色鮮やかな大行進が行われ、男性は山高帽に燕尾服、女性は競って目を奪う奇抜な帽子でシャンパンを飲みつつ観戦するロイヤル・アスコット競馬も行われます。そして、今はウインブルドンではテニス試合で燃え上っています。



花も今が盛りと最高の美しさを見せています。そこで、今日はロンドンで見たあちらこちらの花をご紹介します。



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Fenland Alchemist Garden /Chelsea Flower Show　「沼地の錬金術師の庭」

これは五月終わりにあったチェルシー・フラワー・ショーで気に入った裏庭のインスタレーションから。錬金術に明け暮れする男の無造作な裏庭をデザインしているのだが、きっとあまりにも作られた美が多いので、郷愁をさそうのだろう。あるいは、自分の幼い頃の思い出・・・忙しい親で庭の面倒など見れない環境など。私だけではなく、沢山の人々が興味をもっていた。


<img alt="IMGP4185.JPG" src="http://blue-badge.net/2009/06/23/IMGP4185.JPG" width="400" height="300" />
at Chelsea Flower Show

これは花屋さんがデイスプレーしていたのですが、可愛らしいプリムラの鉢植え。こんなのを窓辺にずらっと並べたら楽しいだろうなと思います。チェルシー・フラワー・ショーは今年で１４７年目。ゆっくり見れない位の入場者で、イギリス人の植物に対する情熱が感じられました。　





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Athenaeum Hotel on Piccadilly

これはピカデリーのアセニウム・ホテルですが、いつもと違って緑色。

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何とこれは壁面いっぱいの植物で驚きました。ついつい植物を生きる仲間と見なしてしまう私は、こういうデザインとしての使い方は興味深いし、美しいけど、なんだか可哀そうになってしまうが、私の狭い見方でしょう。とにかく、おもしろい！





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Columbia Road Flower Market

さて、私に最も身近なのはフラワー・マーケット。
日曜日の朝早く、まだ交通取り締まり官の出勤前に来ないと、車を止めるのに苦労するのですが、安いし楽しい花市なのです。１９世紀には青物市として始められたコロンビア通りの市場が、なぜ日曜日かというと、土曜日が安息日であるユダヤ人に日曜日の商売を許可したところ、土曜日に売れ残った野菜や肉の都合のよい売りさばき場所として繁盛したのですが、最終的には切り花が残り、その後、苗も売られるようになり、それが現在に続がっているのだそう。

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この写真を撮った日は、小さい紫とピンクの花を買い、乾いて駄目になったハンギング・バスケットに植えました。






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         <pubDate>Tue, 23 Jun 2009 08:26:38 +0000</pubDate>
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