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トーマス・モア (ロンドン塔4) Sir Thomas More

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トーマス・モア  1477~1535 ホルバイン画

トーマス・モアも、ヘンリー八世によって、ロンドン塔に囚われていた人々のひとりです。
彼は、法律家の息子として生まれ、12歳の時に英国でのキリスト教の最高権威者であり、王の次に位が高いといわれる、モートン大司教の小姓となりましたが、大変賢くて、ユーモアに富み快活で、皆に愛され、大司教も客人に「この小僧はすごい人間になるよ」と言ったそうで、まだ14歳のモアをオックスフォード大学へ行かせました。ここでギリシャ語、ラテン語、フランス語に音楽・・・とすっかり教養をつけ、ロンドンへ戻り法律を学び、エラスムスと出会い、ルネッサンスの新しい息吹を身につけます。でも彼の一番の興味は「神」でした。チャーター・ハウス修道院に住み、修道僧にはなりませんでしたが、ここで法律の研究をしながら、彼らと同じ清貧の生活を4年間しました。素肌に粗い下着をつけ自分を戒めるという習慣は終生続きました。

その後、法律家として大成功し結婚します。実は結婚相手を紹介された時、彼女の妹の方を気に入ったそうですが、姉がそれを知ったら、きっと悲しむだろう、恥に感じるだろうと、姉と結婚したそうです。
しかしこの奥さんは4人の子供を残して亡くなり、その後年上のアリスと結婚しました。彼の家庭生活は、快活なモア夫婦のもと、とても明るく楽しいものだったということです。

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友人で、モアの家に1年間滞在していたホルバインが描いた、モア・ファミリー。
チェルシーに大きな地所を持ち、彼の書いた「ユートピア」のように、畑を作り、エラスムスによると、父親、娘や息子と配偶者たち、11人もの孫に囲まれ、モアは贅沢や批判ではなく、優しさと穏やかさで、大家族をまとめていたそうです。読書と学ぶことを勧めて、お祈りは長かったらしいです。とにかくジョークが多くて、娘が言うには、モア冗談を集めて1冊の本ができるだろうとのことです。

この文化人を、14歳年下のヘンリー八世は、とても気に入っていて、モアの家によく遊びに行ったそうです。ヘンリーも教養のある王でしたので、きっと尊敬していたと思います。息子が書いていますが、ある晩は突然食事前にやってきて、暗くなるまで庭を散歩し、見てみると王は、モアの首に腕をかけていたそうです。1509年のヘンリーの戴冠式には頌詩も作っていますし、王の議会の議員、下院の議長、騎士の叙勲など重要な地位も与えられましたが、「ユートピア」をはじめとして数々の執筆を続けました。「ユートピア」は、まるで未来の共産主義を予見しているかのような理想社会を描いています。

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ベル・タワー。ロンドン塔はまったく信じられないことに、囚人は生活費を払わなければならなかった。モアは1日15シリングで、妻のアリスは服を売ったりして調達したそう。当時の農業労働者の収入が週1シリングだったそうなので、非常に高かった。


王との友情は20年以上長く続き、王の離婚の許可を求めて失敗した大司教兼大法官であったウルジーの失脚後は、1529年大法官Chancellerの地位まで与えられました。大法官は最高裁判官という地位ですが、公正な裁判をし、たとえ婿の裁判時でも、容赦はしなかったそうです。

王のカソリック弾圧は増し、1532年には教会関係者に王の至上権の承認を迫りました。モアは、カソリックのローマ法王が世界中の信者をまとめるのには必要であるという考えでした。勿論、免罪符や賄賂などの堕落した部分もあるのは知っていましたが、王が宗教における首長であるという考えには否定的でした。そこで、彼は大法官の職を辞任しましたが、収入の絶えた生活も、お得意のジョークで「皆で袋を持って物乞いしよう!楽しく、仲良くやろうな」と、家族を励ましていたそうです。彼はお金を慈善の為に寄付してしまってるので、蓄えがなかったのです。

1534年、モアは裁判に呼ばれ、王の至上権を認めませんでしたが、「ローマ法王を否定することはカソリックの団結を弱めてしまうから」という理由は、わざと言いませんでした。なぜなら、それにより、国王の権力が弱まり、反乱が起こったり、市民革命がおこるのを危惧したからです。

ロンドン塔の「ベル・タワー」へおくられたトーマス・モアは、ひとりの忠実な召使と共に暗く湿気の多く寒い監房で、許可された書物、書き物の道具などで、辛い生活もユーモアを忘れず、また修道院でも生活の経験から、最低限の生活も明るく日々を送っていたそうです。祈りは、国王と王国の繁栄を願い、誰も傷つけたくないという気持ちに溢れていました。妻のアリスは、彼に考えを変えるようと頼みますが、「愛するアリス、自宅とこの監房ではどっちが天国に近いか言ってごらん?」と、信念は変えせんでした。楽しみだった読書や執筆も禁止されてゆきますが、彼の部屋の上階には、同じく王の至上権を認めなくて収監されていた、ロチェスター司教のジョン・フィッシャーがおり、こっそり連絡を取り励ましあっていました。

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ジョン・フィッシャー司教。ホルバイン画。生きている聖人のような、このスケッチはすばらしいです。彼はトーマス・モアより先に処刑されました。

1年以上もロンドン塔で過ごした後、最後の裁判が行われ、反逆罪とみなされ、1535年7月6日に、タワー・ヒルで断頭の刑に処せられました。
いつも着ていた粗毛の下着は人々に見られたくないので、娘に形見としてあげ、炭で残された家族の安全と健康を祈った遺書を残し、処刑の前に周囲に集まっている見物人に、自分に対して祈ってくれるように、又この処刑を目撃したことを思い出してくれるようにと頼み、そして「王の忠実な僕として、しかしさらに神の僕として死にます」と告げたと言われます。
彼は、死の瞬間まで快活であり、死刑執行人に、「精神を集中して、恐れずにやってくれ。私の首は短いから、それるとまずいからね」と注文したそうです。

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この斧と台がロンドン塔に陳列されている。斧はチューダー時代のもので、台は1回ずつ新しく作るそうで、これは1747年の最後の処刑に使用されたもの。
モアも同じような道具で処刑されました。


彼の首なしの遺骸はロンドン塔内のセント・ピーター教会に埋葬され、首はロンドン・ブリッジでさらし首にされた後、アリスは貰い受けカンタベリーのセント・ダンスタン教会に埋葬されています。彼の死後400年経った1935年には、フィッシャーと共に聖人に列せられました。

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ロンドン塔の北にある処刑場、タワー・ヒルTower Hillの記念板に見える、モアの名前。フィッシャーの名も見える。ここで125人処刑されています。

トーマス・モアは、興味の尽きない、すばらしい人物だと思います。私の好きなイギリス人のひとりです。

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2010年01月11日 10:21に投稿されたエントリーのページです。

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