
羽根扇を持つエリザベス一世 作者不明 1580~5 1533年生まれなので、50代の女王。
この時代はプロテスタントです。偶像崇拝しませんので、女王の肖像画は、キリスト像やマリア様の代わりで、イコンのように感情など消し去った表情で描かれるのが一般的でしたが、この絵は、より自然に描いてあり、威厳のある王者の貫録たっぷりの豪華な君主で、圧倒されます。
日本では、イギリス王朝の君主としては、現在のエリザベス女王(二世)と共に、数々の映画も作られ、最もよく知られている女王だと思います。1559年から1603年と長い在位で、英国が大英帝国へと進展してゆく基盤を作った偉大な女王です。
ヘンリー八世が亡くなった後、王子がエドワード六世として短期間王位につきますが、その後英国初めての女王が誕生します。長女のメアリーです。この即位のとき、姉の王位簒奪の陰謀をしたとして、エリザベスは捕えられて、ロンドン塔に拘留されています。その時のお話をいたしましょう。
メアリーは母親から受け継いだカソリックでしたが、エリザベスはプロテスタントのアイドルと期待されていましたので、メアリー即位を阻止する陰謀が起きていたのに、自分の知らない所で陰謀者の当事者のようになっていて、疑われたようです。

「反逆者の門」Traitors' Gate ここから入る者は二度と生きては出られないと言われている水門(現在は水を抜いてある)。ウエイク・フィールド・タワーの窓から撮る。観光客が恐ろしい話を聞いているところ。
エリザベス王女は3月の雨の日、船で「反逆者の門」から、いやいやロンドン塔入りしました。道すがら冷たい石の上に座り込んでしまいました。「雨に濡れて冷えますから、中にお入りになったほうがよろしいのでは・・・」と衛兵がすすめますと、「ここよりひどい所へ行くのよりも、この方がましです」と答えたそうです。
エリザベス王女は当時20歳でした。閉じ込められたのは、トーマス・モアと同じベル・タワーですが、王女の房は上階で、3人の召使と共におりました。出される食べ物は毒を心配して手をつけず、特別に作らせました。又、狭く健康に良くないので、隣のビーチャム・タワーまでの間の散歩を許可させたりと、「注文の多い囚人」だったようです。現在、この壁つたいの道は「エリザベスの散歩道」と名ずけられています。何度も尋問を受け、拷問を受けた待女もいましたが、メアリーの王位簒奪の証拠が出ませんでした。
2ヶ月後の5月5日、新任の責任者が100人もの青い制服を着た兵隊を連れ、ロンドン塔にやってきました。エリザベス王女は、何事かと驚きました。もしや自分の処刑かもしれない・・・と思ったようです。でも、この大層な兵隊達は、晴れて潔白となったエリザベスをウッドストック宮殿へと護送するためだったのです。

13歳のエリザベス王女。おでこや顎など、後の肖像画にも面影が残る。
この監獄生活の5年後に姉のメアリーが病死し、エリザベス一世として25歳で即位し、イギリスを強力な国に押し上げました。
母のアン・ブーリンはロンドン塔で処刑されていますし、自分も囚われていた、このロンドン塔は、その後足を踏み入れていません。エリザベス1世にとっては、あまりにも不吉な所だったと思われます。しかし、この厳しい体験から、人々の利益の為に利用されるかもしれない地位であること、自分であって自分の身ではない王位の意味を冷静に理解して、国の発展に努めました。
当時最強のスペインの無敵艦隊を撃破し、大国スペインの没落とイングランドの台頭と転換しアメリカのバージニアを植民地として後の海外遠征の端緒を作り、長年イングランドの北にあって、脅威でもあり融合したかったスコットランドも、エリザベス一世が独身で一生をおくり世継ぎがいないので、彼女の叔母がスコットランド王の妃となっていたので、曾孫がエリザベスの死後、イングランドとスコットランド2国の王となり、その100年後には、スコットランドは完全に連合王国に含まれてしまいます。エリザベス1世の死後も彼女の力が及んでいたと言えるでしょう。
