
「ロンドン塔の王子たち」ポール・デラロシュ、1831年。(ウオレス・コレクション)
「ロンドン塔」は、城全体の総称で、中心となるのは、「ホワイト・タワー」と呼ばれる、高さ27m幅30m位で、壁の一番厚い部分で4.6mという頑丈な、12世紀初頭に完成した本丸に、13世紀を通して、周囲を壁で2重に囲み、その随所に見張り、住居などの塔や建物をつけたものである。
何といっても当時は城というと砦の重要性が高く、入口はかなり高い位置にあり、木製の階段を上って入城するのだが、階段は敵に攻められたら外して、籠城できるようになっていた。現在、この建物は展示室として使用しているが、最初は王、兵隊の住居と武具庫、監獄などに使われたが、19世紀になるまでは、殆ど武器、弾薬庫として使われていたらしい。

17世紀の地図。中心にある四角い建物がホワイト・タワー。二重の壁には建物がびっしり付いている。周囲の柵の中が堀で、下部はテームズ川なので、防御は固い。
このホワイト・タワーの有名な話「ロンドン塔の王子たち」
今から300年も前(1674年)ですが、階段の下から2人の子供の遺骸が発見されました。
1483年に父王が死んだ後、12歳で王となったエドワードと弟は、叔父のグロスター公リチャードの庇護の下、戴冠式の準備をしつつ、ロンドン塔に滞在していました。ところが、戴冠式に現れたのは、この叔父で、リチャード三世として即位したのです。二人の王子は行方不明となっていました。
人々は、リチャードが殺させたに違いない・・・と噂していました。シェークスピアも「リチャード三世」の中で、薔薇戦争中の残忍な権力闘争の犠牲として、この王子たちを描いています。事件の200年後に発見された遺骨は、現在ウエストミンスター大寺院の王室の墓に納められているが、かわいそうな話です。


骨が見つけられた階段には、このような記念版が貼ってあり、想像図も掛っているのですが、殺されたのは「ブラデイ・タワー(血塗られた塔)」で、想像によると枕で窒息死させられたのではという事ですが、真実は謎のまま。

「ホワイト・タワー」では、昨年がヘンリー八世の即位500年記念で、彼の数ある甲冑や武器の特別展をしていて、タイトルは"Dressed to Kill" 殺すための衣装とでも言えばよいでしょうか。彼によって、このロンドン塔で命を落とした人は数多いのです。
お正月のタワーは観光客で賑わい、ホワイト・タワーも明るく見えますね。
