
かっこいー!! クライブ・オーエン演ずるウオルター・ローリーWalter Ralegh (1554-1618)。
映画「ゴールデン・エイジGolden Age」より
エリザベス一世の「お気に入り」は他にもいました。それが、ウオルター・ローリーです。彼は、地方の騎士の息子ですが、オックスフォード大学や法学院で学んでいますが学位を取らず、もっぱら実際に活動する方を好んだようで、北アメリカ探検に付いていったり、アイルランド暴動鎮圧に行ったりしていました。その内に女王のお気に入りのレスター伯爵の取り成しで、宮廷に参加するようになり、女王にお目通りとなった訳です。
彼はたいへんなおしゃれで、ダンデイだったらしいです。有名な話では、泥道を女王が通ろうとしている時、居合わせたローリーは、自分の新調のマントを、ぱっと脱いで、その泥道に掛けて、女王の足が汚れないように通って頂いたというもので、「うわー、きざな男!」という感じですが、誰だって感激しますよね。ローリーは女王の心を掴みます。

どれ位、彼がおしゃれだったかは、このミニチュアのローリーの肖像画をご覧ください。(ビクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵)ロマンチックな表情といい、髪に何かふりかけていたり、さすが君主が女性なので、何だかマッチョな感じは薄くて、やさしい女性的な感じである。時代により、求められるものが違うという事が、感じられる。
ある外国の大使の記録によると、女王が自分のハンカチでローリーの口を拭ってあげたという話も残っています。女王に気に入られて、専売権や議員の地位など与えられ出世しますが、彼はそのお金も女王を喜ばせる為に惜しげもなく費やしました。愛の詩も沢山書いています。
海軍提督の地位も与えられ、アメリカへ再び行き、現在のノース・キャロライナの海岸地方を植民地として、処女女王にちなみ「バージニア」と名ずけて、女王に進呈し、喜んだ女王から騎士の称号を貰いました。アメリカからのおみやげは、今ではイギリスの食事に欠かせない国民食とでもいえる「じゃがいも」と「煙草」を持ち帰りました。100人の最初の移民を送りましたが、冬が厳しすぎて、結局は失敗していますが、とにかくも後の膨大な植民地の最初だった訳です。

女王は、いつもこのように男性に囲まれていました。この時代の男性のファッションは歴史上、一番おしゃれではないかと思います。1960年代にピーコック革命とか言って、男性が飾り立てた時代がありましたが、この時代も同じような気がします。
ローリーは、そのように女王のお気に入りだったのですが、前回取り上げたエセックス伯が登場し、完全に捨て去られた訳ではありませんが、寵愛が薄まってゆくのを感じたのでしょうか、女王の待女のべスと秘密結婚をし、子供をもうけ、女王の怒りをかい、謝るように強制されますが、ローリーは誇り高い男で絶対に謝らないものですから、ロンドン塔に送られましたが短期間で、許されています。エセックス伯が女王のお気に入りになっているのですから、ローリーはもう、そういう地位ではありませんが、女王が崩御するまで忠誠を尽くしました。
ところが、スコットランドからの新しい王は、エリザベス一世を廃位させて自分を即位させようと反逆を起こしたエセックスの一味を擁護し、ローリーは女王を守っていましたので敵視していますし、洗練されて賢いローリーを、嫉妬と共に憎みます。そして貴族たちの権力争いに、王も彼をなきものにしたいとの気持ちもあり、無実の反逆罪にされてロンドン塔へおくられ13年間も拘留されたのです。

ここがローリーの滞在した部屋で、現在も彼の使っていたようにして見せています。ブラデイ・タワー(ロンドン塔の王子が暗殺された場所でもある)の中です。妻のベスや子供も住み、何とここで子供も生まれています。上階も彼の為に作って、植物研究の為に庭も作り、薬草その他を調べていました。王妃がたまたま訪れ、ローリーの素晴らしい人柄に感心して、皇太子ヘンリーの教師にしたのです。この部屋で「良い王になるための」各方面の授業をしました。王子は父王が大変偏狭であることを知っており、ローリーの所で、伸び伸びと学んだようです。王子の為に大書「世界の歴史」を書き、後出版し、大変評判を得たようです。王子は父王にローリーの釈放を頼んでいましたが、突然病死してしまい望みを絶たれてしまいました。
ジェームス王は、ローリーが人々に人気があることを知っていますので、簡単に処刑できません。そこで、スペインと密かに謀って、ガイアナを奪取する機会を彼に与え、これが成功したら恩赦で釈放、失敗したら死刑という条件でローリーを船出させます。彼はすでに行ったことのある所ですので、受けますが、何十年も経っており地理も変化が多く、兵器も変わっていますし、もともとスペイン側が、この作戦を知っていますので妨害し、連れていった息子も戦死し、年老いた自分も病気になり、不成功に終わり、帰国しました。

老年のローリー
遂に1618年10月29日、ウェストミンスター寺院そばで処刑されました。沢山の人々が集まる中、彼はいつものようにエレガントな服を身につけ、今まで例のない、45分間という長い最後の言葉で自分の潔白や思いを述べ、「斧の影は怖いからね。私が斧を恐れると思うかい?」と目隠しを断り、怖じ気ずく執行人に「何を怖がってるのかね、早く振り下ろしなさい、君、ふりおろしなさい」と言ったそうです。
彼の最後の言葉は、人々に大きな感動を与えました。後の市民革命の主導者となる人々も、その内におり、ローリーの著作と共に彼らに影響を与え、この処刑の30年後には、王が処刑されるという事態まで起きたのです。又今では非人道的と思える、外部へと広がる植民地拡大の考えも、広く浸透させました。良きも悪しきも彼の思想は、死後やっと実行されたといえるでしょう。
