
ルーシー・ボストンがキルトを始めるきっかけとなった、マナー・ハウスの居間にかかる、古いキルトのカーテン
今日は仕事がないし、良いお天気なので夫と共にケンブリッジの近くのヘミングフォード・グレイHemingford Gray という、小さな町へ行ってきました。ここには、日本でも翻訳されている「グリーンノウ物語」の作家、ルーシー・ボストンの住んでいたマナー・ハウスがあるのです。
彼女は1892年生まれで1990年に亡くなっていますが、児童作家として有名なばかりではなく、実はパッチワーク・キルト作家としても有名です。それに庭のデザインから手入れも名人だったのですから、すごい!のです。
キルトを始めたのは、47歳で離婚後、マナー・ハウスを買い引っ越してきたのですが、戦時中でもあり、物資が不足していました。カーテンにと、古いキルトを買い、それを修繕している内に段々と興味が湧き、自分でも作り始めたそうです。最初の作品は、ありあわせの布で、椅子張り用の布や布巾、枕やマットレス向けの縞の木綿などで出来ていて、素朴ながら、彼女の苦労とパッションが伝わってきました。
平和になると、ロンドンに布を探しに行くのが、楽しみになり、数々のキルトを家族や友人の為に、よくこれだけ細かく縫えるものだ・・・と驚くばかりの針目と、美しい色や柄の組み合わせで作っています。

これは、ルーシーの作った森をテーマにしたキルト。布の模様を利用して木のように、アップリケで鳥を入れたりと、ファンタジー作家の面目躍如。約20点もの作品を見せてもらったのですが、どれも使うのを目的とされていたので、シミが付いていたりして、生活感があるのが、とても良かったです。
さて、家は「マナー・ハウス」と呼ばれていますが、素晴らしい大邸宅というわけではなく、むしろ少し大きめの農家屋のように見えます。歴史は古く、1130年ということで、古い壁の厚さは80cm位あります。戦時中に女ひとりで引っ越してきたよそ者に対して村人は奇異の眼差しで、スパイではないか、魔女ではないか・・・など、噂をしていたようです。
児童文学で最初に出版をしたのは62歳と遅かったのですが、夏は庭仕事、冬はキルトの制作と、それだけでも忙しいのに、イギリスの子供なら皆読んだことがあるという「グリーンノー」のシリーズのお話を何冊もいつ書いたのでしょう。


上の写真は、花の向こうがマナー・ハウス。紫の濃淡だが、テクスチャーの違う花々を植えてあり、シックで魅力的な前庭。それに比べて、下の写真の裏庭は、黄色にオレンジを組み合わせて、少し田舎っぽい楽しい雰囲気。庭はキルトの色の組み合わせの反映か、キルトは自然からの触発か・・・。ウエデイング・ドレスの為の、刺繍を施した布を組み合わせたキルトや、コーデュロイを巧みに組み合わせてあったのがあったりと、質感も心憎いキルトが多数ありました。息子さんは画家ですし、文学的ばかりではなく、視覚的芸術な血も、なみなみと流れている人だったのだと思います。


現在ここに住んで、管理していらっしゃるのは、今は亡き息子のピーターさんの奥さんのダイアナさん。お姑さんを尊敬して、キルトの保存、庭も彼女の意志をついでの管理、そして訪問者にも親切に、この大切な「ルーシー・ボストンの世界」を、頑張って守っています。彼女の強い意志と実行力がなければ、今このように、ルーシー・ボストンの全体像を見ることは不可能だったでしょう。
ルーシーは、戦時中に、近くの空軍基地の軍人さんを週2回招待して、自分のコレクションのレコードをかけて、コンサートを催したそうです。ダイアナさんは、その古い蓄音器をぐるぐる手でまわして、ルーシーのレコードをのっけて、竹の針でかかる、何ともいえない、柔らかい音を奏でてくれました。
おみやげに、この庭園にて栽培した鉢植えの苗を少々買い、ご機嫌で帰宅しました。すばらしい女性達、ルーシー・ボストンとダイアナ・ボストンを知ることができたのは、とても幸せな体験でした。

コメント (1)
すてき!
ルーシー・ボストンのキルト見てみたい!
もちろんマナーハウスに行って、その空気に浸ってみたい。芸術の世界は一般人が努力しても、どうにもならないものがあると思う。やはり神様が与えたもうた才能なんでしょうね。私もこの世界には憧れるだけだけど胸が震えるよ。
投稿者: さっち | 2009年09月10日 00:43