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フローレンス・ナイチンゲール  Florence Nightingale

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ずいぶん長い間ブログを休んでしまいました。父の看病に、行ったり戻ったりして、最終的にロンドンに落ち着いたのが6月に入ってからで、さらに私のラップトップは壊れてしまいました。直ると思っていたのが無理で、やっと新しいのが手に入りましたので、今日やっと書き始めています。

きょうは、父が大変お世話になった看護婦さんに感謝の心をこめて、ナイチンゲールについて書きたいと思います。私はイギリスへ来るまで、ナイチンゲールがどこの国の人か知らない程無知でした。彼女は進歩的、博愛主義的な考えの裕福な家庭の娘で、1820年に生まれた街がフィレンツエだったので、英語読みで「フローレンス」と命名されました。親の影響で社会に関心を持っていましたが、女の子は結婚が最終目的の時代でした。17歳の時、神からの声を聞き、世の中の役に立つことをしたいと思ったそうです。

30歳でドイツの看護学校で1年学び、その後ロンドンで上流階級の婦人のための病院で看護婦になります。そして、1854年にクリミア戦争中の英軍の野戦病院へ派遣され、あまりの不潔さに驚き、台所をすっかりきれいにして、寝具その他の洗濯や清掃など、衛生を徹底させて、病人の銀行がわり、手紙の代書をし、病む兵士の言葉を聞いてあげて、夜中はランプを持って見回りをしました。そんな彼女は「ランプを持つ婦人」として皆に愛されました。

戦後、英国へ戻りましたが、重労働からすっかり体を悪くして、亡くなるまで殆どベッドから出れませんでした。それなのに、精力的に活動していて驚きます。まず、英軍の健康調査をし、軍の医学校を作ったり、病院増設へと進めていますが、これは彼女の統計から実証されたものです。又、クリミア戦争の活躍から、それまで卑下されていた看護婦という仕事の重要性が認められたのを機に「ナイチンゲール基金」を作り、1860年にはセント・トマス病院 St Thomas' Hospital に看護学校を設立するに至ります。インドの公共衛生にも関与して、灌漑の提案などもしています。90歳で亡くなるまでに200冊もの本やパンフレットも出版しており、ヴィクトリア女王が「彼女のような人が軍の指揮をしてくれたらどんなに良かったでしょう・・・」と言ったそうです。

ナイチンゲールの功績は何と言っても今日の、世界の、看護婦さんの規範を作ったこと、地位の向上をなしたことでしょう。宗教と関係なく中立で、責任者は同じ看護婦さんの中から選ばれる、最低賃金と宿舎の確保…なども彼女の発案です。又、実習生は患者を観察した記録を提示する義務があったそうです。私の叔母は昔看護婦さんでしたが、父を看病してくれている時は常に記録を書いていて、きっと癖になっているのだと思います。

父は半年以上もの入院生活を送りましたが、看護士さん達に大変お世話になりました。何から何まで全部面倒を見ていただきました。父は親切に感謝して「ありがたいなあ」と言っておりました。

亡き父を思いつつ、百年以上前の「ランプを持った婦人」から継続されている立派なお仕事をされている看護師さんの皆さん、ありがとうございます。


おしらせ: フローレンス・ナイチンゲール博物館で人柄、業績を垣間見ることができます。
       www.florence-nightingale.co.uk

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2008年07月26日 12:11に投稿されたエントリーのページです。

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