
右手に人が集まっているのが19番地。
昨日は、イースト・エンドのプリンスレット・ストリート19番の家が一般公開されるというニュースを知ったので、見に行ってきた。この家は、1719年にフランスから亡命してきたプロテスタントの絹織物職人のオギアー家 Ogier family が住んでいた家ということで、是非300年前の工房など見たいものだと心待ちにしていたのだが、中に入って自分の期待が全く方向違いであることを知った。
中は荒れており、壁は漆喰が落ち配管も露出したり、階段もでこぼこ、床も不安定で、所々金属の柱でつっかえ棒にしている。どおりで、入場制限していた筈だ。床にはトランクが置いてあったり、糸巻きがあったりして、壁には解説が書いた紙が貼ってある。この家も含めてのイースト・エンドの移民の歴史の解説だった。
解説には・・・
フランスのプロテスタントを「ユグノー」と呼ぶが、17世紀に50万人も亡命してきた。彼等は職人多く、絹織物、銀細工、精密機械や時計職人、商人などで、イギリスの工芸の発展に多いに貢献。しかし、イギリス人は自分達の生活が脅かされると思い、同業者組合も反対したり、迫害して追い出そうとするが、彼等の技を失いたくない人びと多く、結局政府や王も永住を許可。彼等は成功して、貧民層の多いイーストエンドから出て中産階級の街へと移る。
アイルランド人も19世紀中ごろ、この辺りに住みテームズ川の倉庫に働きにいったようで、彼等は低賃金、重労働に反対の運動をこのイースト・エンドで組織したとある。その後の行方は書いていない。
そして、19世紀終わり頃の東ヨーロッパのユダヤ人迫害(「屋根の上のバイオリン弾き」はその話でしたね)で沢山のユダヤ人がここに住み、繊維関係の仕事を主にする者多く、ミシンの音がそこかしこで聞こえた。彼等もイギリス人から邪魔者扱いされた。特に国民党から実際に暴力を受けた者も沢山いたそうだ。しかし彼等も教育をつけ、成功してこの辺りから出て行った。
バングラデシュからの移民は、1960年頃から始まり今は彼等の街となっている。例として、ブリック・レインのモスクは、最初1743年ユグノーの作ったキリスト教会で、1898年にはユダヤ教のシナゴーグとなり、現在モスクになったのは1976年だそうだ。
最後がソマリアの内戦の亡命者が増えてきていて、現在1万人ということが書いてあった。実はこの家は「移民博物館」にしようという計画のようだが、資金が足りなく、一般に知らせて興味を持ってもらおうとの企画のオープンデーだったのだ。
家は3階と地下室だが、一階の奥が小さなユダヤ教のシナゴーグになっていた。1階の部屋を庭に続けて増築したらしく、荒れてはいるが、美しい。地下室は国民党から仲間を守る為に使われたそうだ。

絵葉書の写真
まあ、私の期待していたものを見れなかったが、それなりに興味深く、出る所で絵葉書を買おうと思って見てびっくり。3階の部屋は入れなかったが、その部屋の写真で、散らかし放題の汚い部屋。この写真、忘れもしない、何年も前に新聞に載っていて強烈な印象を与えられた。この話は次回書きたいと思う。長くなりそうだから。
