
この部屋は屋根裏部屋らしく天井が低い。ユグノーが住んでいた頃は天窓を作って織物をする際、光がたくさん入るようにしていたそうだが、彼等が去った後天井を貼ったと解説にある。
さて、帰宅してからインターネットで調べると、この部屋の写真を新聞で見たのは、1999年5月の「ガーデアン」Guardian で、リキテンシュタインとシンクレアーの共著で「ロデンスキーの部屋」という本が出版されるので書かれた記事だった。
この最上階の部屋は1969年に鍵がかけられ、住人であるデビット・ロデンスキー David Rodinsky は忽然と姿を消した。それから15年ちかくほっておかれたが、開けてみると、今でも彼が住んでいるような状態で部屋は残っていた。半分飲みかけて乾いてしまった紅茶のカップ、コンロには料理しかけの朝食のオートミール、ベッドも出たばかりで、枕には頭の窪みも残り、グラモフォン、読みかけの新聞、ユダヤ教のカバラについての本や、その他の本も15カ国語にわたるものだった。それから、興味深いのは、ロンドンの地図が本になっている「A-Z」で、ロンドン郊外の街から街にマークをつけてあった。又、新聞の切り抜きと、飴の包み紙を一緒にスクラップ・ブックに貼ってあるものもあった。
この写真と話で興味をそそられた人は多いらしく、上の二人は、ロデンスキーの生い立ち、行方を調査して本を書くに至ったのだ。それによると、彼はウクライナ移民の息子で1925年生まれ。父母は、1880年にユダヤ人が25000人も殺されるという事態からの亡命移民で、一家は最初、プリンスレット・ストリートからすぐのハンブリー通りに住む。彼が7歳の時、プリンスレット通り19番地に引っ越してきて、家族全員亡くなった後も、彼はずっとここに住み続けた。しかし、ユダヤ教の礼拝所の屋根裏部屋に住むのだから、管理人のようなことを家族はしていたのかもしれない。
彼等の調査によると、ロデンスキーは、1969年に44歳でサリー精神病院で死んでいる。きっと、鍵がかけられたのは、病院に連れ出された時なのだろう。

「ロデンスキーの部屋」のフランス語訳出版の新聞記事(リベラシオン)を英訳したもの
この「A-Z]は、上の著者であるリキテンシュタインに強い印象を与え、自分の生涯を「A-Z」に置き換え、人生を、彼女の祖父母、両親から自分、そして著作中に生まれた息子にと続ける。デヴィド・ロデンスキーの名を貰い息子をデヴィドとし、彼への冥福、再生へと話をもっていった。なぜなら彼女の祖父母も同じく、ウクライナからの難民だったから。
又、ノーベル賞をもらった劇作家のハロルド・ピンターの「管理人」Care Taker も、ロデンスキーの影響があり、主人公は口癖のように「シドカップへ行ったらねえ・・・」と、行ったこともない郊外の住宅街を自分のいるべき場所とし、現実の屋根裏は仮の場所のように言うのである。これも「A-Z」が持つイマジネーションからだろう。
それだけではなく、この写真の印象は現代美術のインスタレーションにも影響を与えたのでは?と思ったりもする。ひとつひとつの物の持つ、ある人の歴史。
さて、私が絵葉書の写真を見て興味をそそられたのは、実はこの写真を新聞で見るずっと前に夫から、「シナゴーグの屋根裏に住む、奇妙な男」の話を聞いていたからである。
彼は学生で60年代、貧しいユダヤ人の為のボランテイアをしていて、「今まで見たこともないほど汚い部屋」を掃除しにいったらしい。数人でペンキも塗ってあげたそうだが、本人は嫌がっていた、とにかく、臭い汚い何年も掃除なんてしたことがないような状態だったという。夫は、この男は伝統的ユダヤ教の格好していて好きになれなかった、言動がおかしいので頭が変だった、後から聞く話によると、国民党から道で袋叩きにされ病院に連れて行かれた・・・、どうなったかな?死んでしまったかな?という話で終了していた。
それが1999年、新聞の写真でプリンスレット・ストリート19番地とあったので、夫も驚き、「こんなに本なんてなかったよ、15カ国語もしゃべれるとは思えないけど・・・、頭おかしかったんだよ」と話していたのだ。きっと彼が行った時は本を売り払っていたのかもしれない。シナゴーグには女の人がいて、彼女が管理人のようだったとも言う。ロデンスキーは頭がおかしいから、哀れなので置いてあげていたのだろうか。
現在、このガラクタは、発見後ロンドン博物館 Museum of Londonで保管され、又現地に戻されたのだそうだ。ここが、移民博物館になったら再び、元の「今まで一度も見たこともない程汚い部屋」に復元されるかもしれない。その時は是非見たいと思っている。