
スワン・シアター前で見た、リチャード三世の看板
私は数あるシェイクシアの劇の三分の一も見ていないと思うのですが、何故か「リチャード三世」は何度も見ています。まあ、この新潮文庫の解説を読んでください。
「せむしでびっこの野心家グロスター公リチャードは、兄のエドワード四世王が病に倒れると、王権を狙い、その明晰な知能と論理で次つぎに、残忍な陰謀を企て、ついに王位につく。 魔性の君主リチャードを中心に、ばら戦争の結果とヨーク家の内紛を辿り、口を開いた人間性のおそろしい深淵に、劇詩人シェイクスピアが、真向うから対決した傑作史劇である。」

このロバート・ヘルプマンのリチャード三世の写真はすごくて見たい気持ちになる。1956年なのでむり。
リチャードは、冷血漢で、兄弟も甥も、自分を王位につけるために殺します。500年前のイギリスの舞台というのは、今のようにカーテンを下ろして場面を変えたり、書割があったりしないし、回り舞台とかも勿論なく、照明なんてなし。蝋燭は火事の元になるから明るい内だけという訳で、役者はせりふの中に場所の設定やら、天気の様子まで入れて観客に知らせる。という訳でせりふは長くて、そして、心の内もせりふに含ませて、観客に告げます。
さて、リチャード三世は皆に嫌われ、母親さえも嫌っている。でも女を口説くのはうまく、自分を憎む女を妻にしたりする。それが、人間の弱い部分をついていて、ペテン師の魅力が一杯なのです。本で読んでいると、それほど感じないのですが、これをいったん、役者が動き、声に出すと、突然立体的になり、こちらの心に訴えかけてきます。悪い奴ほど惹かれるのはなぜかしら。

クエートのりチャード三世。未亡人になった王妃達が嘆きあってるところがテレビに映ってのをリチャードが見ているのだろう。
シェイクスピアの劇は世界中の、どんな時代にでも置き換えられます。きっと人間の普遍的な部分を表現しているからだと思います。ロバート・デニーロの映画のリチャードもすごく良かったし、又ヒットラーのように扱っていたのも良かったです。ふと、リチャード三世は漫画の「銭ゲバ」に似てるなと思い、娘に言うと「それはないと思うよ」と軽くいなされました。
