
今日の新聞のロンドン市長からのメッセージ
今年は、イギリス船による大西洋横断奴隷運搬が1807年に廃止されて200年になります。でも、新大陸、西インド諸島等の植民地等での完全廃止には、1834年まで待たなければなりませんでした。ともあれ、英国領内における奴隷制廃止への一歩を踏み出したこの条例が可決されたのが、3月25日ですので、イギリス中で記念行事が行われています。恥ずべき歴史のひとつですが、そこから学ぼうとする姿勢を国中で表しているように見えます。

オラウダ・エクイアノ
ウェストミンスター大寺院でも、祈祷が行われ、又レクチャーもありました。そこでは、オラウダ・エクイアノ Olaudah Equiano という奴隷から奴隷解放運動家へとなった人の話がされました。
彼は1745年頃、11歳で今のナイジェリアでさらわれて新大陸につれて行かれ、奴隷として売られました。英領ヴァージニアで、イギリス人キャプテンのパスカルに買われ、新しい名前を与えられ、その名を呼ばれて答えるまでぶたれたそうです。しかし、読み書き計算を習い、色々な国を回り航海術も習い、7年後売られた時は、ロバート・キングという商人で、40ポンド貯めて1766年に自由を買い取りました。彼はロンドンに来て、奴隷解放運動家と知り合います。同じく黒人の友人、オッタバ・クゴアノが、「アメリカにおける奴隷の物語」を書いてジョージ3世に奴隷の実態を知ってもらおうとするのに、協力もしましたが、王は動じませんでした。
彼は、1789年に自分でも「アフリカ人、オラウダ・エクイアノの生涯」という自伝を書き、奴隷の生活の悲惨さや不公平を一般に知らせるおおきな役を果たし、ドイツ、アメリカ、オランダでも出版され、彼の存命中に1900冊も国中で売れ、各地で公演もしました。1792年にはケンブリッジシャーのイギリス人と結婚し、長女は早く亡くなりましたが、次女は父から10万ポンドもの遺産を残されました。
イギリスの奴隷解放推論者たちが、アフリカに奴隷が戻れる国を作ろうという運動を起こし、オラウダはその指揮者に選ばれていたのですが、達成前、1797年に亡くなってしまいました。シエラ・レオンはイギリスの保護下、1807年から8年にかけて、そうやって出来た国です。
イギリス人は、新大陸の植民地で砂糖、木綿、タバコなどを作る労働者として、アフリカから鉄砲などの武器を主な交換物として大量に連れてきたのです。1790年代の英領西インド諸島だけで52万人もいたそうです。又、非常に高い利益を受けていたので、なかなか国会でも廃止にもってゆけませんでした。廃止運動の率先者はクエーカー教徒でしたが、彼等は国教会ではないので、選挙権もなく、国会に訴えることはできません。議員で42年間も頑張ったのが、ウイリアム・ウイルバフォース William Willberforce で、この1807年の成果も、彼を中心として行われました。彼のお墓はウエストミンスター大寺院にあります。

「私は人間ではなく、兄弟でもないのですか?」と書いてある、ウエッジウッドのメダル
陶器メーカーで有名なウエッジウッドの創立者、ジョサイア・ウエッジウッドも奴隷廃止運動家で、自分のお金で何千個ものメダルを作って、アメリカのベンジャミン・フランクリン始め多数の人びとに働きかけました。
